ドイツでは今年8月中旬からベーシックインカムの実証実験が始まっている。120人に対して、1人当たり月額1200ユーロ(約15万円)が3年間、無条件に支給される。スペインでは今年5月、所得制限付きにベーシックインカムの導入を決定した。日本では竹中平蔵が「月7万円のベーシックインカムで生活保護も年金もゼロに」を唱え、物議を醸している。果たしてベーシックインカムとは、人びとを幸福にする手段なのか、それとも究極の新自由主義政策なのか。この連載のなかで探っていきたい。
▼究極の経済政策
ヨーロッパでベーシックインカムをめぐる議論が盛り上がっている主要な原因は、先進諸国の経済成長が長期的に停滞していることである。特に2008年の金融危機(リーマンショック)以降の世界経済のGDP成長率は3%台後半で推移してきた。金融危機直前の07年には6%に迫っていたことを考えれば、急激な落ち込みが続いている先進各国の政府は例外なく、大胆な金融緩和策をとって景気へのてこ入れをおこなってきたが、思うような効果を上げていない。
そうしたなかで「究極の経済政策」といわれているのが、「ヘリコプターマネー」である。これは国が元利払いの必要がない債権(無利子永久債)などを中央銀行に渡し、引き換えに受け取ったお金をさまざまな形で国民にばらまくというものだ。それによって需要を喚起しようというねらいがある。あたかもヘリコプターからばらまくようにお金を使うことから「ヘリコプターマネー」と呼ばれている。これを提唱したのがアメリカの経済学者で「新自由主義の旗手」と呼ばれたミルトン・フリードマンだ。
ベーシックインカムはヘリコプターマネーのひとつと考えられている。つまり「ベーシックインカムは究極の新自由主義政策である」として、労働運動や反貧困運動に携わっている人びとのなかでは警戒感が強い。そうした危惧を裏付けるように登場したのが、竹中平蔵の「1人7万円のベーシックインカム」である。
▼自己責任論の詭弁(きべん)
9月23日、BS−TBS番組「報道1930」では、「ベーシックインカムを導入することで生活保護が不要になり、年金も要らなくなる。それらを財源に」という竹中の発言が大きなパネルで紹介された。竹中が提案したのは「所得制限付きのベーシックインカム」で、「国民全員に毎月7万円支給」「所得が一定の人はあとで返す」「マイナンバーと銀行口座をひも付けて所得を把握」という。
「所得制限を超えた人が、支給された現金をあとから返す」というこの制度は、ベーシックインカムとは呼ばない。これについては、次回、詳しく述べたい。
この報道のあとにおこなわれたニュースサイトのジェイ・キャストニュースのインタビューで竹中は、「単なる社会保障の削減になるのではないか」という質問に対して、「(それは)まったくない」と答えて、以下の持論を展開している。
「菅総理が自助という言葉を使われた途端に、自助とは『弱者切り捨て』と言われましたが、それはまったく逆でね。これは小泉純一郎元総理がいつも言っていたことなんですが、自ら助くる者がたくさんいればいるほど、本当に助けが必要な人を助けられる。本当の弱者を助けるためには、自助の人ができるだけ多くいなければならないんです。それはどんな社会になっても、普遍の原理ですね」
これは典型的な自己責任論である。竹中がここで言っていることが「普遍の原理」であるはずがない。以下、その理由を述べる。
日本の生活保護制度の補足率20%程度だと言われている。生活保護基準を下回る経済状況にある世帯の5分の1しか、実際に生活保護を受給していないのである。つまり竹中のいう「本当の弱者」の5分4が制度から見放されているのである。生活保護基準とは憲法25条でうたわれた「健康で文化的な最低限度の生活」のことである。国は四の五の言わずに、これを無条件で保障しなければならないのだ。だから補足率20%という現状を放置することは許されない。それを解決する方法は極めて簡単である。生活保護費の予算を5倍にすればいいのである。
これは荒唐無稽なことでも何でもない。義務教育の例に取ればすぐにわかる。憲法第4条では「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない」とうたっている。もしも政府が「わが国は財政難だから、これから公立の小中学校でも授業料を徴収する」と言い始めたら、いったい誰が納得するだろうか。「ふざけるのもいい加減しろ」と一蹴されるに決まっている。生活保護の補足率を100%にするために国が予算を5倍にするのは当たり前のことなのだ。「自助の人」がどれだけいるのかどうかは、憲法25条の規定とは何の関係もないのである。竹中の言う「普遍の原理」とはたんなる詭弁にすぎない。
▼不公平な分配
GDPに占める、公的扶助の現金支給総額の割合で見ると、日本は極端に少ない。同志社大学の埋橋孝文教授が経済協力開発機構(OECD)統計(2013年)から算出したところによると、日本はわずか0・8%。これにたいしてドイツ2・0%、フランス2・0%、アメリカ3・7%、イギリス4・3%となっている。日本は先進国中最下位レベルなのだ。GDPとは国内で産出された財とサービスの合計である。このパーセンテージが示しているのは、国内の富の分配において、日本がいかに不公平な国であるのかという事実に他ならない。その責任は政府にある。そのことをさしおいて、「自助」をうんぬんするなど論外だ。
では、富の公平な分配とはいかにして実現されるのだろうか。それは単なる経済政策の領域を超えた問題である。なぜなら、その分配の基準は人びとがその正当性を認め、納得のいくものでなければならないからだ。
今日、世界の富の分配は実際にどのようにおこなわれているのだろうか。貧困問題に取り組んでいる国際NGOオックスファムが2019年1月に発表した報告書によれば、世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い層の半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っているという。米経済誌フォーブスが毎年発表している世界長者番付で2018年版のトップに立ったのは、アマゾン創業者のジェフ・ベゾスで、その資産総額は1120億ドル(約11兆8700円)だった。このときは初めて1000億ドルの大台に乗ったことで話題になった。またベゾスの1年間の資産増加額は392億ドル(約4兆1600億円)で、これもまた過去最大の増加額となった。11兆円と言えばギリシアの国家予算に匹敵する。私たちはいつからこのような恥知らずな世界で生きていくハメに陥ってしまったのだろうか。はたして、ここから抜け出す道はあるのだろうか。
その答えのひとつがベーシックインカムなのである。(つづく)