▽安和桟橋へ
1週間が早く感じられます。つい先日、安和港に行ったと思っていると、またすぐに安和になりました。木曜日の辺野古ゲート前より、こちらの方がつらい。3、4時間、桟橋の入口を行ったり来たり、ダンプの搬入を止めようということだから、怒りがなければ続けられません。この日の安和桟橋での行動の担当は、午後でした。はじめは5人ほどでしたが、11人まで増えました。構内は、先週よりも土砂が多く積まれ山をなしていました。もう身体を張った阻止は、意味がありません。3時過ぎからは足がつり4時前に引き上げ、スイッチを切り替えました。(11月24日)
1日、また安和桟橋へ。そのとき塩川港で見守りをしていた本部島ぐるみの高垣さんが夕刻に家にたどり着くや間もなく亡くなりました。脳卒中、享年71でした。京都から夫婦で沖縄に移住し、穏やかで粘り強く人目につかないところで動く、安和・塩川では欠くべからざる人でした。
葬儀には多くの仲間が見送りに。会場から、自然に高垣さんの持ち歌が歌われました。
我らの想いは、それはただ一つ 麗しのうちなぁ 非武装の島よ 海や森 空も澄めば わが心は やんばるの地に
私も密かに追悼和讃を歌いました。水俣の被害者たちがチッソの総会に押しかけ、社長の前で無念を述べたのち歌ったご詠歌です。安倍前首相、菅首相の前に立ち、詰問したかったのです。
(12月3日)
▽温州ミカンと琉球
ミカンのおいしい季節です。縄文時代から琉球、九州の西海岸との交易ルートがありました。九州西海岸の八代(高田)に中国から「高田小ミカン」が伝わりました。当時はミカンという語が出来ていませんので、何と表現したかわかりません。可能性は甘子(カンシ、カムシ)なのです。『続日本紀』に、725年、弟兄(おとえ)が、唐から「甘子」を将来とあります。遣唐使は博多に着き、それから大和に向かったわけですから、この甘子(柑子)が九州にも伝わったとの推測からです。さらに「高田小ミカン」の先祖木が大分にあり、740年ころに植えられたと伝承されています。725年と740年の近さから、柑子(コウジ)と関係がありそうです。
高田小ミカンは紀州有田にも伝わり、紀州ミカンとして全国に知れ渡ります。そしてもう一つ、室町の末に琉球からクニブという品種が九州西海岸(八代海)に伝わります。クニブ(九年母)の伝来は、琉球が東南アジアまで交易を求め展開していた成果です。九年母は小ミカン(紀州ミカン)と交配し、温州みかんが誕生しました。今日の温州ミカンの繁栄に琉球が役割を果たしたのです。(つづく)
【お知らせ】「沖縄便り」は富樫さんの通信からの抜粋、寄稿です。随時掲載します。(本紙編集委員会)