
昨年12月、テレビ、新聞などが「ゲノム編集トマト、市場へ」と報道しました。それによると、ゲノム編集の種を農家向けに販売することが届け出られ、そのトマトが1年後には店頭に出る見込みだそうです。「ストレス軽減効果」を、通常の品種より5倍も高めたトマトです。このニュースに、学生時代にミロのビーナス(もちろんレプリカ)を観たときのトキメキを思い出しました。
人生には希望・夢・愛がなくては生きていく力が湧きません。私たちの生活で「種」は希望であり、未来であり、今日の生活の糧でもあります。種は累代に伝えられて来ました。昨年の臨時国会で種苗法が改定されました。種子(たね)、種苗法改定を考えてみましょう。
▽農家と米、麦、大豆を守った種子法
農業の主要な資材は農地や農機具、それとともに各々の地域で長らく引き継がれてきた「種(たね) 」があります。1952年に制定された「主要農作物(米・麦・大豆)種子法」(以下種子法と略)は、農地改革に始まる戦後の農業改革の仕上げとして制定されました。そこには、戦前の農村窮乏と国民の食糧不足を再び起こしてはならないという国民的な合意と決意が示されていました。
戦後、今日まで主要食糧供給を平穏・安寧に、縁の下で支えてくれたのはこの法律だったとも言えます。そこには戦前の反省をもとに、米・麦・大豆を主要農作物と定め、これの優良な種子の生産・普及を「国が果たすべき役割」と、日本の各地域に合った品種を都道府県が開発し、農家に低廉に供給し、国民の食の安定と安心を期する施策を定めていました。しかし、この種子法は17年に「グローバルに、金だけ、自分だけ、今だけ」の新自由主義経済政策を求める勢力によって廃止されました。
▽独占企業が種(たね)のあり方を変えた
15年、TPPなど新自由主義経済政策に反対、抵抗する全農 (農協)は、関係法が法改定され「政府・与党に楯突くと…このように痛い目にあうぞ?」で去勢されました。そして17年、種子法の廃止と同じ時期に成立した農業競争力強化支援法で「既存の多数の銘柄を集約する」とともに、国や道府県の持っている種苗に関する知見を民間企業(海外企業も含む)に開放するよう定められました。
主要な抵抗勢力を抑えた種苗・農薬・肥料を扱う独占企業は、政府・与党や野党の一部、マスコミを使い「種(たね) 」の社会的あり方を変える行動に出てきました。
この流れに抗し、全国各地でさまざまな反対運動が組織されました。私も「日本の種(たね)を守る会」発行のリーフレットにより、「学習会を開き、仲間を増やそう!」「地方議会、県知事に意見書を出し、都道府県を動かそう!」「食糧主権を守り、公的品種を守る法律を作ろう!」を知り、18年1月から、それらに取り組み、19年に広島県内の三次、庄原、安芸高田、北広島、東広島などの市町議会に、�@広島県種子条例制定を、�A国は新しい「種子法」の制定を、という請願や働きかけを重ねました。
広島県議会でも、種子法廃止について強い危機感を持たれ、全国に誇れる内容の「広島県主要作物等種子条例」が議員発議により20年6月県議会で制定されました。同様の条例は22道県で制定されています(11月末現在、「日本の種(たね)を守る会」調べ)。そんな中、3月に政府は「種苗法」改定案を国会に出しました。日本では種(たね)に関する法律として「種子法」と「種苗法」の2つがあったのです。
▽農家の自家増殖を認めてきた種苗法
今日まで「種(たね) 」は、とりわけ主要農作物の種は「公共の種」、「みんなの種」として取り扱われてきました。「種苗法」は戦後すぐに制定され、その後、種苗の知的財産(特許)を定める国際条約(UPOV)に加盟したことで、国内法の『種苗法』は1998年に抜本改定されました。この改定は、遺伝子組み換え作物の登録に対応するためでした。しかし、この時の最大の論議は「(特許)登録品種の農家の自家採取、自家増殖」を認めるか否かでした。その際は農業団体の強い抗議行動と反対があり、改定法20条で登録品種の許諾なしでの増殖は原則禁止になりましたが、21条に例外規定を設け、2項で「農業を営む者には育成者権は及ばない」と農家の自家増殖を認めました。要するに「(特許)登録品種の農家の自家採取、自家増殖を」農家・農民の権利として確認したということです。
だから農家は自分の作物から翌年の「種(たね) 」を自由に採ることができ、米、麦、大豆の主要食糧はもとより、サツマイモ、サトウキビ、イチゴや果樹などの種苗を自家増殖して生産費を抑えることができてきました。一方、遺伝子組み換え種子は大規模経営しか成り立たないので、家族農業とは合いません。国際的な種苗農薬資本はこの立場に立っています。
(つづく)
(筆者は広島県種子条例制定を求める会連合会・代表幹事)(見出し/本紙編集委員会)