京都大学にたいして琉球人遺骨の返還を求める裁判の原告と関係者らによる『京大よ、還せ−琉球人遺骨は訴える』(耕文社)の出版を記念するシンポジウムが、11月18日、京都市内で開かれた。原告3人の発言を紹介する。(見出し/文責ともに本紙編集委員会)

日本の植民地主義は終っていない

松島泰勝さん(龍谷大学教授)

 この裁判が始まったのが2018年12月です。私は2017年から京都大学に対して遺骨にかんする質問をし、遺骨を見せてくれと求め、またその返還を求めてきましたけれども、すべての対話が閉ざされてきました。なんとしても遺骨を取り返したいという気持ちで裁判を続けてきました。京大の態度を見ていたら、琉球人に対して敬意をもって接しているとは思えない。

 京大は「金関丈夫は決して遺骨を盗んだわけではない。当時、取りうるべき手続きを取った」と言っているのですが、それにかんして具体的な証拠は何ひとつ示していません。金関丈夫が書いた本に、「沖縄県庁の幹部や沖縄県警の幹部から了解をもらった」という記述を証拠としているだけです。

 百按司墓(むむじゃなばか)はお墓です。金関は、遺骨を盗んだ当時、百按司墓で住民が祭祀をおこなっていたことを彼の本で書いています。墓から遺骨を盗み出すことは、当時の刑法でも墳墓損壊罪という犯罪です。また墓から遺骨を盗み出すことを沖縄県の幹部が許可してよいという法律もありません。京大は嘘を言っています。正式な手続きを経て金関が遺骨を収集したと言えないのに、京大は、裁判で毎回毎回、「盗掘ではない」といっていますが、その具体的な証拠を一度も出していません。

 なぜ遺骨を返さないのか。それは自然人類学、あるいは形質人類学と呼ばれる、人の骨を研究する研究材料として使おうと考えているからです。そこで日本人がいつから琉球を通って日本に渡ってきたかということを明らかにしようというものです。それは日本のナショナリズムのための研究です。そのためにわたしたちのご先祖の遺骨を利用しようとしているのです。

 現在の研究は遺骨を破砕して、そのDNA配列を調べるというものです。破砕された遺骨はごみとして捨てられます。彼らはそのことによって、人類あるいは日本国民の学術上の利益が得られるという。そのために琉球人の遺骨は犠牲にしてもかまわないというのです。これは人種差別です。金関が遺骨を盗み出せたのは、日本が琉球を植民地にしていたからです。その不平等な関係性にもとづいて遺骨を盗んでいったのです。このように日本の植民地主義、日本帝国主義はいまだに終っていません。

沖縄県教育長への怒り

亀谷正子さん(命どぅ宝!琉球自己決定権の会)

 昨年3月、台湾大学から帰ってきた63体の遺骨は依然として沖縄県教育委員会文化財課管轄の県立埋蔵文化財センターに置かれたままです。私は琉球に帰ってきたらシメタもの、同じ琉球人として祖先崇拝の文化を共有していますから、「話せばわかる」と思っていました。遺骨が台湾から帰ってきたとき、原告の連名で再風葬要請書を出しました。ところが「貴重な学術資料とする」として台湾大学や今帰仁村(なきじんそん)との合意の上で再風葬はしないという回答が帰ってきました。全く納得できない返事でした。

 その後、玉城さんが63体の遺骨に関する情報開示を5回にわたり求めた結果、三つのことがわかりました。一つは、県教育委員会は、私と玉城さんが第一尚氏の子孫であることは認めるが、祭祀継承者としては認めていないということです。ふたつは、教育長は一度も教育委員会を開かずに、遺骨を学術資料であると決めていたことです。三番目は、7月28日の文化財課課長の回答で、教育長が、遺骨の返還交渉時に外国である台湾大学とのあいだで再風葬をしないという趣旨の協議書を作成したことは、越権行為ではないと述べていることです。この事実から、教育長が琉球人としてのアイデンティティを喪失していると認識せざるを得ません。琉球の歴史を知らない若いウチナンチュは、復帰後40数年の間にこれほどまでにヤマトに同化してしまったとは、残念でなりません。

 琉球民族には、明治以前から現在まで、連綿とつづいてきた二大信仰行事があります。一つは東御廻り(あがりうまーい)と、百按司墓をはじめとする聖地を巡礼する今帰仁上り(なきじんぬぶい)です。百按司墓を文化財に指定している今帰仁村では、全琉から参拝者が訪れ、祭祀がおこなわれています。その今帰仁村が、琉球人の祖先崇拝の心を無視し、京大に同調する教育長に追随しているのは情けないかぎりです。

琉球人としての権利

玉城(たまぐしく)毅さん(ニライ・カナイぬ会共同代表)

 金関丈夫は今帰仁村の百按司墓、那覇市、豊見城市、中城村(なかぐすくそん)の久場(くば)から遺骨を盗んでいった。いま大きな問題になっているのが、「比嘉」という姓のお母さんとこどものご遺骨を持っていったことです。名前がわかっているので、12月5日に中城村でシンポジウムを開いて、そのご親戚がいらっしゃらないか調査することになっています。

 さて、沖縄県教育委員会が遺骨を「貴重な学術資料」といい、「台湾大学も研究できるようにしている」ということは、琉球人としての権利を自ら放棄したということです。これは大変な話です。中央政府、植民地主義の人たちにおもねって、中央に好かれようとするそういう人たちがいるわけです。これは1609年(薩摩の琉球侵攻)のあとから出てきているわけです。これが、いまだに続いている。それが石垣島、宮古島、与那国島に基地をつくり、「辺野古が絶対だ」というのに通じています。

 わたしたちはご遺骨の慰霊をおこないたいと文化財課に要望書を出したのですが、拒否されました。そのうえ埋蔵文化財センターの敷地内でも祭祀をするなといって、監視までしているのです。仕方がないのでわたしたちは、センターの外の歩道にミカンや果物、線香やお花を捧げて、そこで参拝をしました。こんなひどいことをやられました。これは植民地主義の精神をウチナンチュが持ってしまっているという根深い話だと思います。こういうことは日本人類学会の会長とか京都大学がわたしたちを全然相手にしないということにもつながっています。

 台湾大学との協議書のなかでは「学術資料として重要で優良な資料である」としたうえで、「台湾大学も研究できる」ということを約束していた。なぜ「台湾大学も研究できる」ということにしたのか。文化財課にはご遺骨の所有権も管理権もない。そこで「台湾大学に遺骨の研究ができると約束をした。誠意を持ってその約束を実行しないといけない」。だから「返さない」というところに持っていったのです。

 そこで私はどういうことになっているのか情報開示を求めました。1回目の情報開示で「学術資料とする」「継続して保管する」「台湾大学とも研究するし」「再風葬はしない」と内容の台湾大学との協議書が出てきました。これは書類一枚だけです。

 これだけじゃないだろうと、2回目の開示請求をし、行政不服審査請求をしました。審査会の答申は「情報提供が不十分である」「不開示したことはその根拠規定に誤りがあった」と不適切と指摘しましが、「後々、開示したから妥当である」という回答でした。

 情報開示で最後に出てきたのが、「当初予算・事業別及び細事業別概要説明書」です。事業とは「埋蔵文化財の適切な保存を図るため、埋蔵文化財調査に関する市町村への助言・指導及び基準等の検討を行う」ことです。具体的には「人骨について、返還要請など、様々な主張をする団体があることから、早期に調査し、重要性を明らかにする必要がある」というもの。「様々な主張をする団体」とはわたしたちのことです。

 続けて「九州地区における一貫した基準・方針を策定することにより、様々な問題に対応することが可能になる。また、人骨は最終場所の把握や研究資料としての重要性を明確にすることにより、本県の人類学、考古学研究に活用することができる」ともあります。

 つまり、人骨の「研究資料としての重要性」にかんする九州・沖縄共通の基準を定めて、「学術資料として重要なので返しません。これは九州各県との約束です」という方向にもっていこうとしているようです。これは台湾大学とのあいだでやったのと同じです。

 わたしたちは完全に違法な採骨であるから、このような予算を出したのはまちがいであり、これからの研究を止めるようにということで県内在住者22名による住民監査請求を出すことになりました。12月中に予定しております。