

▽国と東電を断罪
県内滞在者を中心にした生業訴訟は、いわき支部で不当判決だったが仙台高裁で勝利した。全国最大、約3650名の原告団だ。初めて高裁が「国に責任がある」と認めた。被害者個別にではなく、地域ごとの一律の被害が認められ、被害者どおし分断されない判決をかちとった。争点の一つは責任論。「事故の予測、予見ができたか」「予測できても、対策をとることができたか」。国と東電は法廷で全否定した。いわき支部は「予知できたとしても切迫性はなかった」「重大な過失とまでは言いきれない」とし東電を免罪したが、高裁判決は「予測も対策もできた」と退けた。
「(地震発生可能性の)長期評価」の信頼性が争われた。26年目を迎える阪神淡路大震災の後、大きな問題となった。日本の地震学者に変革を迫った。多くの地震学者、活断層を研究してきた人たちが、「危ない」と愕然とした。以前から指摘してきた学説が証明されることになった。そういうところに大都市をつくってきた。
3・11以前、政財官、マスコミも、日本では苛酷事故は起きないとしていた。国も、阪神淡路をきっかけに地震防災対策特別措置法をつくり、文科省に海溝型地震の発生可能性について調査委員会を設けた。巨大地震が原発を襲ったらどうなるか。大震災に加え、原発震災が発生、放射能が撒き散らされる。生業判決では、長期評価について「1専門家の論文とは、その性格や意義が大きく異なる」と指摘した。
ところが、ごく少数「結論づけるには尚早」という学者もいる。国はこれ最大限利用し、電力会社を指導しない。電力会社も巨大津波は来ないかのように対応する。儲けにならないから、長期評価を認めない。その先頭に立つのが東電だ。判決は、東電と国の対応を厳しく批判し断罪した。大きな意義がある。損害論では「被害者の範囲、どんな被害か」が争点だった。
いわき市は、避難指示が出ていない。私たち、いわき市民訴訟は国と東電を被告とし、原告は市民1574名、18歳未満が256名であるのが特徴、小さな子どもも加わっている。
福島地裁いわき支部は、20年11月に第1原発から20〜30キロ、南相馬の緊急避難準備区域の市民訴訟に、同じ3人の裁判官が3月に判決を下すことになっている。困難な事態も予想されるが、私たちは屈しない。
▽風化進んでいる、55%
未曾有の被害をもたらしたことに、国と東電が法的責任を認めず、被災者の苦しみ、嘆き、想いにまともに向き合っていないと思っている福島県民は多い。トリチウム汚染水の海洋投棄に、多くの県民が不安を持ち反対の声をあげている。20年10月の県民世論調査、「震災、事故から10年。政府にも風化が進んでいると思いますか」に、「進んでいる」は55・2%だった。
民主党政権のとき、はっきりした方針にはならなかったが「30年後には、原発のない社会に」とした。その後の安倍政権は「原発なしで日本の発展はない。電力会社を苦しめてどうする」と、全部引っくり返した。その背景は「核兵器を持つための技術は捨てない」ということ。いま国、県が力を入れているのは、福島イノベーション・コースト、国際研究産業都市構想と訳している。浜通りに廃炉、ロボット、エネルギー、医療、航空宇宙産業など、5千人の新しい町をつくる。アメリカの原爆開発後、放射能汚染したハンフォード・サイトの「再生」を模したもの。大規模土木工事も含み、巨額の予算が組まれている。惨事便乗型、いわゆるショック・ドクトリンのやり方だ。
人が戻ることに反対ではないが、腑に落ちない。故郷を奪われた人々からは、自分たちが願う自然豊かで人々が繋がる地域社会、生活がいっそう後回しにされるのではないかという複雑な思いがある。10年目、「復興」は大きな曲がり角に差しかかっている。富岡高校、浪江、双葉高校も休校のまま。人が戻らなければ、本当の復興ではない。
原発は「問答無用」ではなかった
福島3・11の後、「原発なくせ」は概ね多数派になったと思う。「再稼働反対」はもっと多いだろう。3・11までは考えられなかった。もともと、東電と国がどのように地域に入り原発立地を進めていったか、ふり返ってみる。当時、保守系も含め「国は安全を説明するべき」という意見は過半数だった。まっとうな疑問だ。ところが、いざ公聴会になると見事に賛成派多数を発言させる。反対派は「地域の発展に反対するのか」と社会的に排除される。工事が始まると、農家は農閑期には、仕事ができ働きに行く。
東電は、酒屋さんやお昼や夜の弁当、食事、文房具店に至るまで万遍に隔てなく注文するんだ。例の「原子力、未来を拓くエネルギー」というポスターを、各戸に貼ってほしいと持ってくる。地域で暮らしていくためには、「貼らない」とは言えないよ。問答無用に押しつけたのではない。そして「安全神話」だ。学校でも教える。県庁、市町あげて「そんな爆発するようなもの持ってこないよ」と率先する。
▽二度と繰り返さない
今回の事故が「最大」なのか。4号機の使用済み燃料の溶融が食い止められたのは、検査中に溜めていた水が偶然にプールに入ったから。もし、入らなかったら。第2原発の冷却水確保があと2時間遅れたら。東日本全体が避難することになった。政府が言う30〜40年で廃炉は、あり得ない。日本原子力学会は、放射性物質が減衰するには最低100年かかると。高レベル廃棄物に至っては10万年。事故処理の費用は政府試算で21兆5千億、日本経済研究センターは最大81兆円としている。動いていない原発の経費に、これまで10兆4千億円…。これらはほぼ全部、電気料金などに上乗せされる。再稼働推進論者は、「もう今回のような事故は起きない」と考えているのだろうか。再び起きれば国民は塗炭の苦しみ、日本衰亡である。それでも推進するのか、私は問いたい。
福島県民の願いは、「2度と原発事故被害者を出さない」。原爆被爆者の「私たちを最後に」と同じである。今年3月11日、被災地の楢葉町に「広島・長崎の火」が共通する非核の火として移され、灯される。核兵器も原発も、「人類と共存できない」。1月、核兵器禁止条約が発効する。第2次大戦後、国際連合が発足し、最初の決議1号が「核兵器の禁止」だった。広島、長崎の原爆で世界は、「わかった」はずではないか。