現実に目を向ければ、病院だけではなく針灸やサプリメントやアロマ、ヨガや気功など代替医療を取り入れている人は少なくない。民間企業の利潤追求のための自由競争を放任するのではなく、国や医療・医学会が代替医療をきちんと位置づけて理論的研究や教育、臨床実践を推進していくという欧米が進んできた道こそ、人びとの利益に叶うのではないか。統合医療の技術を育て、医療機関設置を推進して、より多くの医療の選択肢を社会的に広げていくことは「医療の民主化」の重要な領域だと思う。

 三木さんの「利益追求の薬剤資本、企業のあり方、医師が投薬に頼らざるを得ない医療制度が問題」(本紙307号)という指摘に同感だ。私は「化学的に開発された薬が不要」と言っているのでない。自然由来の漢方薬にも副作用はある。提起したのは次のことだ。指摘された問題もふくめて、今日の医療のあり方がどのような背景、歴史的経過をたどってうまれてきたのか。それは病の歴史とも表裏をなすが、誰がヘゲモニーをもってきたのか。病んだ人びとなのか。そして見えてきた、近代から今日にいたる資本主義のシステム、それを支え推進してきた科学技術の発展—近代思想、自然観と生命観の転換。この視覚から医療をとらえ返すと、多くの問題が見えてくる。社会と自然の様相の激変は新たな病気、多くの病人をうみだしてきた。

 一般的には見えにくい裏や闇の部分を直射し、考え方や方向性を転換しないと、医療や農業など社会全体の将来像—人類が地球のすべてと共生できる—を描くことはできない。そこから「成長社会からそろそろ降りる」道を見出していきたい。さまざまな分野で、静かに地道に細い道がつくられてきたし、新たな挑戦が始まり、できる道は無数かもしれない。有機無農薬野菜の産直運動も、統合医療もその細い道の一つではないだろうか。(つづく)