植村邦彦さんの『隠された奴隷制』(集英社新書)を読み、ヘーゲル『精神現象学』の「主人と奴隷の弁証法」のくだりに、1804年ハイチ革命の紹介が出てくる。〈世界初の黒人奴隷による革命〉〈世界初の黒人共和国〉を知った。

 当時フランス植民地サン・ドマング(現ハイチ)では、世界の砂糖の4割を生産するプランテーションやコーヒー・プランテーションに、アフリカから連れてこられた黒人奴隷50万人が酷使されていた。おりしも1789年フランス革命が起こり、植民地支配にも激震が走った。91年8月14日、カイマンの森に結集した数百人の黒人奴隷の決起が始まり、5万人の奴隷が蜂起するという事態になった。殺された白人は1000人以上、襲撃されたプランテーションは1300カ所(全体の6割)に及んだ。

 国民公会やフランス世論は奴隷たちを応援し(決起した奴隷に連帯しコーヒーをやめる人も多く出たという)、94年に奴隷制の廃止を宣言する。他方イギリス、スペインはハイチ革命圧殺のため延べ6万の干渉軍を派遣。元家事奴隷のトゥーサン・ルヴェルチュールは、5千のフランス軍の准将として戦い打ち負かし、1801年にサン・ドマング憲法を発し自治政府を樹立する。トゥーサンは白人やムラート(ハーフ)に資本や技術を頼らざるを得ず黒人奴隷の輸入を黙認するが、ハイチに到着するや否や彼らを解放したという。 

▽フランスから独立

 1799年末クーデタで権力掌握したナポレオンがハイチに干渉を行ない、奴隷制を復活させトゥーサンを捕らえ獄死させる。続く指導者ジャン・ジャック・デサリーヌはフランス軍を破り、1804年フランスから独立、奴隷制廃止を定めた共和国憲法を制定する。「ハイチの国民は、肌の色に関わりなく黒人とする」「自由労働者の共同社会の建設」「再びフランスの支配に戻るくらいなら死を選ぶことを、世界中とこれから生まれるすべての子孫に誓う」と宣言した。しかし、彼もまた暗殺される。その後、ハイチは紆余曲折の道をたどるが、ハイチ革命はアメリカ南北戦争や奴隷解放、黒人解放運動に大きな影響を与えたという。

 このような輝く歴史のなかから、奴隷と主人の弁証法が生み出されてくる。あらためて歴史の中に珠玉を発見し、感嘆してしまう。

 植村さんは「『隠された奴隷制』には、『社会契約論』のロックやホッブス、『法の精神』のモンテスキューが植民地会社の株主であったり、奴隷制擁護者であったと書いている。資本主義(新自由主義)の隠された奴隷制とそこからの解放が主題であるが、これらに、いちばん衝撃を受けた。(村)