
▽コロナ禍での保養
昨年の春と夏の保養キャンプは新型コロナウイルスの拡大により、中止せざるを得なかった。今春は何とか子どもたちを迎えたいと、代替案も検討した。新幹線は感染リスクが高いので車を移動する、福島近県を会場にするなど検討したが、最終的に参加者とボランティアの安全を確保できないため中止になった。
放射線被ばくは防御できない。だから逃げる、軽減するために「保養」を行なう。コロナウイルス被害は自然由来だが、感染を抑えるための施策で対抗はできる。しかし、ここ10数年の福祉・保健部門の予算カット、保健所や病院の統廃合などにより、PCR検査が受けられない、病床も不足、いわゆる医療体制逼迫により、助かるはずの人々が死んでいっている。
放射線被ばくとコロナウイルス被害は、いまの人類の時代と社会の根幹や格差、差別の問題を問うことになった。私たちは、コロナ感染防止を条件としながらの、今後のとりくみに直面している。
▽なぜ続けるのか
いまも放射線は福島第1原発から漏れ続けており、福島県や関東地方の広い地域に高線量のホットスポットも点在している。チェルノブイリ原発事故から30数年たつ。ベラルーシでは現在でも国の施策として保養が行なわれている。
日本では、国が原発事故の責任を認めないまま、現在に至っている。原発事故など「なかった」かのように、「保養」という言葉も認めようとしない。セシウム137の半減期は30年。「除染」は「移染」にすぎない。子どもたちは、そこで毎日生活する。
春休みと夏休みに年2回、保養キャンプを計15回、これまで行なってきた。さまざまな理由で避難できない子どもたちのために、年に2週間だけでも続けようと考えている。続けながら、国・行政が責任をもって「保養」を行なうよう、声を上げていきたい。
▽キャンプからの学び
保養キャンプは、地元ではなかなか本音で話せない保護者の思いを吐露できる場としても重要な役割をもっている。福島など地元では、原発事故のことや放射線のことを話すことはできないという。「気にしすぎ」「そんなことを言う人は誰もいない」「放射『脳』」「風評被害をあおるな」など。コミュニティのなかで生きづらくなる。
だから放射線の影響のこと、子どもの学校生活、さまざまな悩みなどを他の保護者やスタッフに気兼ねなく話すことができる保養キャンプの場は貴重なのだ。子どもとともに、保護者も心と体をリフレッシュできる。スタッフも保護者の想いを聞き、避難できない人々の状況を学んでいける。
▽抗(あらが)いとしての保養
子どもの甲状腺がんは、通常100万人に2〜3人とされている。福島県で事故当時18歳以下の約30万人を検査し、現在までに257人の悪性ないし悪性の疑いがある症状が見つかった。1万人当たり約8人、通常の400倍以上の発生率だ。
だが、福島県は「原発事故と関係ない」と強弁している。一方で、国や行政による「安心・安全キャンペーン」がすさまじい。原発事故の被災者はモノが言えない状況を強制される。「多くの人が避難もできず福島に残っている。私のママ友も、たくさんいます。…だから、保養キャンプをされて人たちに頭が下がる思い」(17年6月学習会、森松明希子さん)。
保養キャンプを続けることは、国や東電に対する異議申し立てであり、福島原発事故を決して「過去」にしない闘いでもある。(蒲牟田宏)