労働運動を中心にかかわってきた私にとって、とても大事なことが書かれている本だった。

 著者は73年生まれ。非正規雇用で働きながら女性の貧困や労働問題などに取り組んできた。そんな著者が経験し、疑問に思ってきた能力主義、男性中心の社会(社会運動も)で生きていくことのしんどさに、どう立ち向かうべきかが書かれている。読む者にも、いろんな面で深く考えるきっかけを与えてくれる。

 フェミニズムは、女性差別をはじめとする様々な抑圧からの解放をめざすものだが、同時に差別・抑圧を生み出している社会構造そのものの変革をめざしている。

 コロナ禍は、90万人とも言われる女性の非正規雇用労働者を実質失業に追い込み(野村総合研究所、20年12月末調査)、女性の自殺者数が急上昇するという痛苦な状況をもたらしている。

 1章「ないものとされてきた女性たち」は、こうした問題に通じている。著者は、「自分自身が非正規労働者で、独身であるということがそもそも、この社会の中で『ないことになっている』。目立ちたいわけではないが『ないものとされている』ことはたまらない」。そして「それが私にとって運動の抗いようのない出発点であった」と書く。

 非正規への差別、低待遇の問題は、労働運動の最重要課題として多くの労働組合で取り組まれている。が、特に厳しい状況にある女性労働者を取りまく問題について、私には見えていなかったと考えさせられた。

 そもそも女性が単身で生きていくという選択を、社会が積極的には認めていないということもようやくわかってきた。労働運動に15年ほど取り組んできたが、こうした視点は本書を読んで初めて気づかされた。

 「8時間働けば普通に生活できる賃金を」というスローガンがある。これはもちろん女性の非正規労働者にも当てはまるスローガンである。しかし、ここでいう「普通の生活」は、男性の労働者が、非正規雇用であっても、結婚し、子を持てるような生活が往々にしてイメージされてきたように、今は思える。

 実際、「こんな賃金じゃ結婚もできない」という言い方もされる。そのような男性=世帯主の労働条件アップが優先されるなら、女性の労働条件は低いままに据え置かれかねない。それは一方で、「女性は結婚するからそれでいい」、というところに押し込まれる。そして、そこから外れる者の存在は軽視されていく。

 昨年末、労契法20条裁判の最高裁判決が相次いだ。私も支援でかかわった。郵政労働者が原告となった裁判が重要な勝利を切り開く一方、メトロコマース、大阪医大の裁判は極めて不当な判決を受けた。勝訴した原告は男性で、敗訴した原告はすべて女性であった。裁判官は「ケースバイケースで判断する」(それ自体おかしい)と言っていたが、その判断にはジェンダー規範があるように思った。(つづく)