▽全軍労、軍法会議

 ぼくの家の隣に、亡くなった社会党の上原康助さんが住んでいた。全軍労の委員長、「基地のなかで基地をなくそう」という組合だ。当時沖縄の人からも「なにやっとんか」と、いやがらせをされたりしていた。上原さんと、うちの親父が秘密裏に組合づくりをやっていた。

 嘉手納はバー、キャバレーなど第3次産業が盛んでした。ぼくらも中学生の時に、アメリカ軍相手の靴磨きのアルバイトをしていた。うちは、アメリカ軍相手の居酒屋をやっていた。飲み逃げや暴力沙汰もあり、空手をやっていた親父と兄貴がアメリカ兵5、6人とやりあい、どぶ川に落とした。どぶ川には、ビール瓶やコーラ瓶がありケガをさせた。親父と兄貴は、裁判所、軍法会議にかけられ、強制退去になった。それで大阪の親戚をたよって出てきた。ぼくは日本に来るのが嫌だったが、連れてこられた。嘉手納の村はそういうところでした。

▽学校で×札を

 大阪弁に慣れるまで大変でした。沖縄の言葉を使ったら、学校で×札つけられ、「日本語を使いなさい」という教育を受けた。ぼくは1953年生まれ、大阪弁は難しかった。「しんどい」という意味がわからない。後でようやく「ちゃう」「そうちゃうか」「ちゃうか」「ちゃうで」「ちゃう、ちゃう」が、わかってくるように。

 辺野古について、山城博冶さんと手紙のやり取りをしている。去年は、カヌー隊とか大勢集まって行動したらしい。お互いがお互いの持ち場で頑張っていこうと手紙をもらった。辺野古の歌、『沖縄、今こそ立ち上がろう』を歌います。

 奄美も同じ琉球文化圏と考え、徳之島の歌を歌います。琉球国が滅ぼされるのは関ヶ原のあと1609年、今から400年前。ヤマトの薩摩藩が琉球を滅ぼすのに、北から奄美、徳之島、沖縄本島という順に制圧した。そのなかで徹底抗戦した島が徳之島。犬田布に碑がある。薩摩藩に制圧され、多くの人が島流しに。その人たちが島の父、母、妻、子ども想って歌った歌が『みち節』、『徳之島節』といいますが、「夜中に目が覚めて、眠れないときは煙草に火をつけ、辛い夜が明けるのを待ちましょう」というのが1番。2番は、我ぬ島は徳之島、「あやはぶら」という綺麗な蝶々のこと。蝶々に遺言、最後の言葉を託した。蝶々は沖縄、奄美では魂の化身といわれている。奄美の歌は、独特な裏声です。

 琉球のなか、奄美は裏声で歌う。魂の叫び、人間も動物も最後の言葉は裏声。狼だって、「ワォ」ではなく「ウ、ウ」と鳴く。人間も鳴くときは裏声。奄美の歌の原点ではないかと思います。裏声の文化は、モンゴル「ウォン」とか、アルプスの「ヨーデル」にも。

 もう1曲、『クルダンドゥ節』。長崎に地下精密工場があり魚雷をつくっていた。奄美、沖縄の機織りする17、18歳の少女たちを徴用工として動員した。そこに原爆が。多くの人が亡くなった。その人たちが語り継いできた歌です。

▽歌に潜む沖縄の文化

 島唄教室を大正区の駅前でやっています。「三線」は難しくありませんよ、練習用の三線は、指の場所の印、簡単な楽譜、冗談ですけど5分で引けるようになりますよ。よかったら来てください。ぼくら、三線も島唄も上手になることを目的にしていますが、コンクール主義ではありません。

 沖縄民謡は日本民謡と思いますか? 沖縄は日本だから日本民謡という人もいますが、歴史とか文化とか三線とか歌い方が違う。沖縄は沖縄、奄美は奄美でいいのではないかと思っています。島唄を歌いながら、歌に潜んでいる沖縄の文化、歴史とかを勉強していこうという会をやっています。

 ビギンとか夏川りみの『オリオンビール』『涙そうそう』。いいですけど、あの子らが「辺野古いかんよな」「平和であってほしい」と言ったら、変わるよね。なぜ言わんのかね。音楽事務所に止められ、誓約書を書かされているから。

▽遺骨眠る土を基地に

 もう一つ思うことは、辺野古の埋め立ての土砂を沖縄の糸満、米須の山を削って土砂を持っていこうとしている。糸満、米須、摩文仁の丘とか喜屋武岬などの南部戦跡は、多くの人が亡くなっている、遺骨もまだ完全に収集されていない。その土砂を、また戦争のために辺野古基地建設に使うというのはとんでもいない。二重三重に沖縄戦で亡くなった人を愚弄する酷い話です。

 嘉手納基地もそうです。嘉手納にも、空港のなかに集団自決した自然の壕、ガマがあるが、お参りするのに簡単には入れない。アメリカの奴らは、基地の中を行ったり来たり自由だけどね。ぼくらが入ろうとしたら不法侵入、鉄条網が2メートル反り返っている。それで、仕切られている嘉手納飛行場です。

▽もりあがった芝生

 那覇から嘉手納に向かうと、右側に嘉手納飛行場が、左側に芝生がしきつめられてゴルフ場みたいな広大なところがある。あそこに、古墳みたいな盛り上がったところ。あれ、何かわかりますか。ぼくらがいた時、サイレンが鳴り赤旗が立つと芝生がグングン割れ、ナイキミサイルが突き出してくる。30メートルぐらいある。NHKのドキュメントで放送されたが、那覇港に誤って発射した。黒人兵が2名亡くなっている。万一のことがあれば、沖縄はない。アニメの世界のような現実があった。嘉手納弾薬庫の上は、ジェット戦闘機を飛ばさせない。衝撃音で爆発するかもわからないからだという。そこに原爆、水爆、毒ガスもあったといわれている。

▽宮森の悲劇、

 1959年、嘉手納飛行場から飛びたった戦闘機が宮森小学校の校舎に突っ込んだ。子どもたち18名が死亡し、200名以上の重軽傷を出した。本土では地震の避難訓練とかあるが、沖縄はジェット戦闘機が学校に墜落したら「どうやって逃げるか」という訓練を真剣にやっていました。

 由美子ちゃん事件。6歳の女の子がアメリカ兵に強姦され、嘉手納の海岸のゴミ捨て場にお腹を切られ捨てられていた。大阪では「悪いおじさんについていったらあかんよ」と教えるが、沖縄では「アメリカ兵について行ってはいけないよ」というのが親の教え、嘉手納の話です。

 1分ほど踊りましょうか、沖縄のカチャーシー。沖縄に行ったらこの踊りができなかったら、置いてきぼりになりますよ。覚えてください。女の人は平手、男の人はグウ。「ゆい(注)の心で招く、ですよ」。スッテプして自由に踊ってください。

(おわり)            

(注)ゆい 沖縄言葉、「結い」(共同、協働)。「ゆいまーる」は「結い回る」。