一度は、歌を聴いたことがある人も多い。沖縄意見広告の集会や、5・3憲法集会でも川口さんの歌声は響き、8月6日のヒロシマにもきてもらった。毎月のように辺野古の座り込みに通っている。17年、アジア国際映画祭で新人女優賞を受賞。障がい者施設の代表を務め、3人の子どもを育てるシングルマザーでもある。(取材/竹田雅博)

▽「戦争は、アカンやろ!」 

 川口真由美です。すっかり集会や闘争の現場で歌う人というイメージですが、ライブハウスのハウスバンド歌手をしたり、歌手としての経験もありながら、駅前や路上では社会矛盾や不条理への疑問や反発を毎週歌っていたりしました。駅を通る人たちが「あ、また歌ってるやん」という感じ。14年に、安倍さんが集団的自衛権に踏み込んだとき、「やはり本気か…戦争への道をつけてきた…」。

 あの日の不安はまだ覚えています。障がい者運動の学習会で「福祉にお金を回さない」「オスプレイやF35戦闘機の爆買い」などの情報は常に学んでいました。戦争の準備をコソコソと突き進めている政府に、とても腹が立っていました。「憲法9条があるのに、なんでそんなことができるねん。福祉に税金を回せ」。

▽沖縄や韓国の人々とつながり

 政府は本気やなと思いました。つながりから沖縄で歌う機会をもらい、沖縄とつながりました。韓国性奴隷被害について知り学ぶため、韓国へもいきました。東日本大震災後の仮設住宅へ行き歌うなどの出演も何度もありました。どこも胸が痛み、表現する言葉を失うような過去や現状で、私は立ち尽くしていました…。  

 今自分に出来ることはなにか、自分を圧迫するように考える日々が続き、辺野古の座り込みに重点的に通いました。どこもかしこも苦しく胸が痛む場所ばかりでしたが、座り込みをされている現実を見たことで、そこへ通うことも具体的に行動に移すことができました。

▽本土に住む私たちの問題

 沖縄の人たちだけにさせられない!これは本土に住む私に大きく関係があることだ。と思うと同時に、もう沖縄の人たちの暮らしを壊させてはならない!と思いました。それはとても強い想いでした。米軍基地がある沖縄を知らずに生きてきた自分を、大きく恥ました。見て見ないふりをしていたのではなく、私は知ろうとしていなかった、情報が入ってきていなかった。

 運動のなかにいるから知ることができたけれど、しかしなかなか動きだせず、行ってみて体感して強く動揺した…。知らされてないこと、知っていても知らないこととしてしまうこと、自分に関係ないと思っている人…とても大きな問題だと思っています。 

 沖縄に通う最初のきっかけをもらったのは、平和運動をされている方の、車いす介助として行ったことでした。そこからは個人で通うようになりました。 

▽駅前で歌いながら、沖縄へ  

 車いすの方の介助で沖縄へ行くことになった経過は、「それだけ平和への気持ちが強いなら、いっしょに沖縄に行かないか?いくべきだ」と、駅や路上で歌う私を見かねて声をかけてくださったことからでした。私は、それまで何度も沖縄に行っていましたが、なにも見えていなかった…基地の横を通りながら、なにも感じずに観光をしてきたのでした…。

 車いすの方といっしょに沖縄へ行ったとき、まだ辺野古のゲート前は始まっておらず、行ったのは辺野古の浜テントと高江のヘリパッド建設の座り込みでした。私は沖縄の「24時間のたたかい」に圧倒されました。私の日常は、せいぜい駅前で週2、3回歌う程度です、それが24時間だなんて…。高江の座り込みには、防衛局の人たちがどっときて、揉み合いが続く。びっくりした、なんでこれがテレビとかで報道されへんのか、と驚きでした。(つづく)