「コロナ禍と戦争〜宇宙物理学者が語る抑止力とは」を聞いた(3月20日、芦屋九条の会の集い)。講師は池内了さん(名古屋大名誉教授)。案内には「コロナ感染が世界中に広がり、格差と貧困を固定、拡大してきた社会の矛盾の深刻化。コロナ禍を切り抜けるには、薬やワクチンを世界か共同し開発し、誰もが等しく使えるように。国家どうしが対立する戦争とは間逆の協調が求められる」とあった。しかし、核も含む新たな軍拡競争が始まっている…。以下、池内さんの講演の一部を紹介する。(竹田)
コロナワクチン接種が日本でも始まった。しかしアストラゼネカ製が血栓を誘発するケースがあると、接種が中断された。新たな科学技術のエビデンスが証明されなくても中止するという予防措置原則を適用するというのは、科学においては正しい選択だ(その後、効果を考え再開)。個人、集団のメリットとリスクの両面を考えていくことが大事。集団優先にするならファシズムにつながる。接種は個人の自由に属する(EUは尊重)。危険が生じたら待つ。安倍前首相はコロナ禍を国難、戦争に例えた。そこからは国を守る、集団の利益優先、従わない者は罰する、国民どうしを対立させる、排外主義、優性主義を蔓延らせようとする。
コロナ禍と軍拡はパラドクスである。生物ではなく、細胞にとりつくことで増殖するのがウイルス。そこでは核兵器もミサイルも無力。しかしコロナ禍のもと軍拡は止まらない。ワクチンはウイルス撲滅ではなく、免疫作用による共存である。
軍拡も、これらに似ている。軍拡のパラドクス→抑止力→核兵器に核兵器で対抗する。日本政府は核兵器禁止条約を批准しない、専守防衛から敵基地攻撃、先制攻撃論に向かう。核保有国は、他国を武力で屈服させようとする。自民党は「憲法(9条)の趣旨は、座して破滅を甘受することではない」(20年8月)と言った。少子高齢化、多数の原発が(無防備に)ある、生産力の外在化、中国との多額の交易等々、その日本が再び戦争を行なうのか。
科学・技術と戦争は当然にも関係している。それは人を生かすためにも、殺すためには使われる。「自衛のための研究は軍事研究ではない」(筑波大・永田学長)。大学、民間の研究に軍、防衛省からの予算が出される状況になってきた。安保技術研究推進制度(注)も、これに倣っている。研究者は国家、時の政府、軍、世界の破壊のためではなく建設のために尽くすのが本旨、拒否権は持つべきだ。(注)防衛装備庁による、研究開発公募の制度。