数百万年の年月をかけてつくられてきた人の免疫システムはとても複雑だ。それ故、その時間の長さを否定し裏切るような環境の激変や破壊にたいして、免疫系の暴走という現象が頻発するようになったのだろう。それが引き起こす病気が激増してきた。科学—医療の発展が人間の体内外の環境を急速に、かつ大きく変えてきたのは特にここ半世紀だ。

   ワクチンもしかり。私(1953生)の母子手帳を見ると、学齢期までの予防接種の記録は3種3回のみ。79年産まれの息子も同じ位。昔は麻疹やおたふく風邪は大人への通過儀式、罹患して終生免疫を獲得していくことは生活の知恵、罹っている子の家にわが子を連れていったりもした。この素晴らしい免疫システムがあるのに、この種の病気に何故ワクチンなの?とずっと疑問をもってきた。

   前回、今の赤ちゃんも親も気の毒という気持ちでワクチン接種の多さに触れたが、その後、環境問題のジャーナリスト天笠啓祐さんの次の文章にであった。「今、子どもたちはワクチン漬け…ぎっしり組まれたスケジュールで、さまざまな感染症のワクチンを接種させられている。…比較的軽い病気で、ワクチンが用いられるようになった。子どもたちの体は悲鳴をあげている」(『週刊金曜日』3月19日付)。医師会や大半の医師は、任意のワクチンさえも推奨の立場で宣伝・実施をしている。親は「良かれ」と思い受ける。天笠さんの発信に大いに共感し感謝した。

 何故ここまで増えたのか?ゲノム編集、遺伝子操作という「技術の進歩」、ベンチャー企業を取り込んだグローバル製薬資本の論理、感染症予防のそもそもの目的が社会防衛など、挙げられる。さらに、病気も障害も「あってはならないもの」「病気にならない=健康=よい」というベースにある価値観。コロナ危機はこの価値観そのものも問うていることを訴えたい。(つづく)