
本書に「『運動』と名のつく場所は、いや、運動と名のつく場所『も』、ハラスメントの嵐なのだ」と書かれていることが、そのまま私たちにも当てはまっていたのである。「社会運動も、当然『社会』であるゆえに、全く同じような差別構造やハラスメントが存在しているということ」に、私はあまりにも無頓着でいて、そういう形で抑圧に加担すらしていたと思わざるを得なかったからである。このような前提に立たないなかで、運動、組織を正しく強化しようとすることは、新たな抑圧をもまた生み出すのではないかと思えたからである。
この対立は、結果として後者の意見が多数となったが、前者の意見も根強く、組織は分裂した。私たちはしかし、ここから「内部で声を抑圧することのない組織とは、どのように作ったらいいのか」を考えていかなければならないと思う。
著者は語る、「女性たちが、声を出すこと、自分たちの差を尊重し、批判があった時には声を潰さず、声を聞き分裂しないやり方を私たちが知ること。自分たちの内側を省みつつ、権威に飲み込まれず、先鋭化を強いるのでもなく、外につながる方法こそがオルタナティブだ。関係の作り方、合意の作り方、表現の仕方、批判の向き合い方…それらのつながりをどう作るか。一見迂遠に思える営みが、流行りに流されず、社会構造を問うことにつながるだろう。」と。それがとても大事なことだと思う。
著者が「『ぼそぼそ声のフェミニズム』に拡声器がついたようだ!」と紹介している『99%のためのフェミニズム宣言』が昨年発行された。フェミニズムとは何か、その豊かな内容がつかめる良書である。併せて読むことをお勧めする。
(おわり)