政府が、福島第一原発の汚染水の海洋放出を決定した。政府は「処理水」というが、処理で除去できなかった放射性核種を大量に含んだ有害な汚染水でおり、環境と人体への長期の影響は計り知れない。
▼トリチウムだけでない
トリチウムは、化学的性質が水素と同じで、通常の水とトリチウム水の区別ができないため、現在の処理方法ではトリチウムを分離・除去できない。通常運転の原発でも、原子炉内で大量のトリチウムが生成され、年間22兆ベクレルという「基準」によって放出できる。(事故前年2010年の福島第一原発からのトリチウムの年間海洋放出量は約2兆ベクレル)。
トリチウムの毒性については、十分なエビデンスがあるが、汚染水には、ストロンチウム90、セシウム137、ヨウ素129などの放射性核種が残留していることがわかっている(東京電力「20年12月24年資料」)。ストロンチウムは、化学的性質がカルシウムに似ており、摂取すると骨に留まって放射線を出し続け、白血病や骨のがんを引き起こすことで知られる。
にもかかわらず政府は「処理水」などと称して放出しようとしている。
▼海洋放出こそ非現実的
政府は、「タンクの敷地がない」「廃炉作業に支障が出る」から、海洋放出やむなしと強弁している。しかし、現在、タンクに貯蔵されているトリチウムだけで約860兆ベクレル。仮に、年間22兆ベクレルという基準で放出しても、単純計算で約40年かかる。これでは事態が切迫しているとは言えまい。40年かけて既存の汚染水放出するというのは、どう見ても非現実的だ。
「敷地がない」「作業に支障が」というが、なぜそうなっているのか?それは、容量の小さいタンクをひたすら自転車操業で作り続けているからだ。そこには「どうせ海に捨てるのだから」という安直な結論がある。 現場を無理な作業に駆り立てる「自転車操業」が、労働者の被ばく増と労災の頻発をもたらしてきたのだ。
そもそもの廃炉計画が、非現実的な虚構の計画なのだ(本紙前号2面)。「溶融デブリの取り出し」は不可能であり、「30〜40年後に廃炉完了」も「絵に画いた餅」だ。虚構の計画を破棄し、数百年にわたる「長期遮蔽管理」へ転換すること—これが汚染水問題解決の大前提である。
▼2つの対案
海洋放出よりもはるかに現実的な方法がある。プラント技術者なども参加する民間シンクタンク「原子力市民委員会」は、「大型タンク貯留案」「モルタル固化処分案」を提案している。廃炉計画の考え方を長期管理に転換すれば、「原子力市民委員会」の提案する計画が現実的である。
「大型タンク貯留案」
提案によれば、石油備蓄に使用される約10立方メートルの大型タンクで保管するという。建設現場として、福島第一原発の7・8号機予定地などがあり、20基のタンクを建設し、既存タンクの敷地も順次大型タンクに置き換える。こうすれば、新たなに発生する汚染水(日量150立方メートル)約48年分の貯留が可能になるとしている。
「モルタル固化処分案」
もう一つの案は、巨大なコンクリート容器の中に汚染水をセメントと砂でモルタル固化し、半地下の状態で処分するもの。放射性物質の海洋流出リスクを半永久的に遮断できる。ただし、セメントや砂を混ぜるので容積は4倍になる。この方法は、アメリカでの汚染水処分で実績がある。
▼分離技術の開発
ところで、トリチウム水はその化学的性質から分離が難しいと上述したが、しかし通常の水とトリチウム水の物理的性質の違いを利用した分離技術が開発されつつある。両者の1)沸点の違い、2)電圧をかけたときの移動度の違い、3)氷点の違いに着目した方法。さらに、4)水蒸留法と水素原子交換法の組み合わせによる処理、5)アルミニウム粉末を焼結させた多孔質フィルターによる除去、6)酸化マンガンによるトリチウムのイオン化と吸収など。(河田昌東(チェルノブイリ救援・中部)「福島第一原発事故に伴うトリチウム汚染水の処理について」21年4月13日)
スダレでしかない凍土壁の維持だけでも年間十数億円をつぎ込んでいる。これらに技術開発の予算にまわすべきだ。
▼東電敷地の供出を
「敷地がない」と政府はいうが、経産省の汚染水小委員会でも「本当に敷地が足りないのか」という疑義が出されている。いまでもなく東電の敷地は福島だけでない。
東電は、「テロ対策の不備」で、原子力規制委員会より柏崎刈羽原発内の核燃料の移動を禁じる是正措置命令を受けている。原発やテロの是非は措いても、もはや東電は核を扱う事業者として失格している。必要な敷地は東電に求めればいい。あるいは東京五輪を中止し、その施設へタンクを設置すればいい。それこそが「復興五輪」だ。
原発は「トイレなきマンション」に例えられる。すると、汚染水をはじめとする放射性廃棄物の問題は、電力消費地住民のいわば排泄物。「あんたの排泄物をどうしてくれるの?」という問いが、漁業者をはじめ原発立地地域の人びとから突き付けられている。原発に反対だからといってこの問いから逃れられるものではない。東電の責任とは別次元の問題だ。「白川以北」という構造的差別に向き合い、汚染水問題を考える必要がある。
【白河以北】「白河の関(現福島県)より北の土地は、一山で百文にしかならない」と戊辰戦争で官軍が東北地方を蔑視した。現在も原発が白河以北に多数立地している。