大阪市中央区にあるエル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)館長の谷合佳代子さんによる講演会、「メーデーの歴史と労働者の闘い」が、4月20日京都市内で開かれた。と題して、講演は戦前編と戦後編の2部構成。この日は戦前編で、40人が参加した。戦後編は5月18日におこなわれる。

▽労働運動のはじまり

 歴史上、賃金労働者が登場したのは、18世紀末のイギリスの産業革命から。賃金労働者が生まれることによって労働運動は始まった。最初は、機械の打ち壊し(ラッダイト運動)だった。イギリス政府は運動の首謀者を死刑にする法律を制定し、処刑が実行された。

 1819年に、マンチェスターで選挙法改正を求める集会に騎兵隊が突入し、多数が死傷する事件が勃発した。ピータールーの大虐殺である。この事件をきっかけにイギリスの大手リベラル紙「ガーディアン」が生まれた。当時の労働組合は、熟練工による「クラフトユニオン」だったが、しだいに非熟練労働者が多数を占めるようになった19世紀後半には、「レイバーユニオン」へと変貌していく。当時の労働組合はパブリックハウス(居酒屋)で生まれ、パブの主人が組合の会計ということもあった。

▽メーデーの起源

 メーデーは1886年のシカゴのヘイマーケット事件から始まった。当時、労働者の平均労働時間は12〜14時間だった。合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟AFL )は8時間労働を要求して、この年の5月1日、大規模なストライキを決行。ストが最も盛り上がったシカゴでは警官がスト労働者4人を虐殺。その抗議集会がヘイマーケット広場で開かれた。その集会に何者かが爆弾を投じ、警官隊との衝突によって多数の死傷者。容疑者としてアナキスト指導者が逮捕され、証拠不十分のまま5人が死刑に処された。

 この事件を第2インターナショナルは、1889年の創立大会(パリ)で米労働者の偉大な闘争として記念し、5月1日を労働者の国際連帯の日とした。翌90年5月1日に初めての国際メーデーが世界各地で開かれた。

 戦前の日本では労働組合は治安警察法による弾圧の対象だった。当時の労働組合の要求の第一は常に「団体交渉権の獲得」だった。1924年の京都第1回メーデーは京都駅西広場から円山公園まで行進。夜の岡崎公会堂での演説会には1千人余が参加した。戦前のメーデーは1935年を最後に、36年の2・26事件以降は集会デモは禁止になった。以上が戦前のメーデーの歴史である。