▼公衆衛生と社会的対策

 混乱のどさくさにつけ込んで、盗みを働くことを「火事場泥棒」という。緊急事態宣言の中、新型コロナ感染症が爆発的な猛威を振るい、医療崩壊が現実のものとなって医療を受けられないまま亡くなっていく人が続出している中で、「コロナのピンチをチャンスとして捉えるべきだ」と白昼堂々と語る政治家が横行する。これを火事場泥棒と言わずに、なんと呼ぶのか。

 憲法記念日の5月3日、改憲派の集会に出席した自民党の下村博文・政調会長は、自民党が掲げる「改憲4項目」の一つに挙げている「緊急事態条項の創設」に感染症対策を入れる動きを紹介した。これまでは大災害などのときに内閣が国民の権利を一時的に制限することを挙げてきたが、国民の悲痛な関心事であるコロナ感染症対策にもつけ込んで、改憲機運を盛り上げようという魂胆である。

 菅義偉首相もこの日、改憲派の集会に寄せた自民党総裁としてのビデオメッセージで新型コロナの感染拡大に触れ「新型コロナ対応で緊急事態への備えに関心が高まっている」として、緊急事態条項創設を含む改憲をめざす決意を表明した。

 政府のコロナ対策が「後手々々」「無為無策」と批判が集まっていることに対して、まるで憲法に「緊急事態条項」がないからだと言わんばかりの論法だ。現行憲法体制や現行法制度のもとでやれることが山のようにあるのに、この1年余「やらなかった」ことのすり替えそのものだ。

▼ロックダウンは無理?

 新型コロナ感染症が国内で広がりはじめた昨年2月以来、政府やメディア、一部の専門家などからも「日本は欧米のような都市ロックアウトなどの強硬措置は取れない」という“言い訳”が繰り返されてきた。本当にそうだろうか?

 新型コロナ感染症は、感染症法に規定された「指定感染症」である。国と自治体は「感染症発生の予防」と「感染症のまん延防止」のために、さまざまな措置を取ることが義務づけられている。さらには、感染症患者には適切な医療が受けられるように国と都道府県が措置を講じることも義務づけている。加えて新型コロナ特別措置法では検疫などの水際対策や予防接種、航空機や船舶の運行制限、医療者への要請措置を取ることや、緊急事態宣言下では「不要不急の外出自粛要請」や「臨時医療施設や無症状・軽症者向けの療養施設」の設置も義務づけている。施設や用地の強制利用も盛り込まれている。

 欧米などで行われてきた「ロックダウン」(都市封鎖)は、外出規制による「人の隔離」や「移動の制限」によって感染の拡大を抑制するものだが、国によってその中身は様々だ。

 政治体制の異なる中国では、パンデミック初期の武漢市に象徴されるように厳しい外出禁止や店舗の閉鎖、公共交通機関の全面停止などが行われ、徹底的な都市封鎖が行われた。しかし、欧米では「ロックダウン」と称しているものの、厳しいと言われるフランスでも「食料品や薬の買い出し」や「通院」「テレワークではできない仕事をするとき」「1日1回程度の散歩」などは認められている。原則禁止のイタリアでも外出時には証明書の携行を義務付けて生活上必要な行動を許容したり、米・英でも生活に必要な店舗の営業や買い出し等の外出は許容しており、不要不急の外出を抑えて   

 感染機会を抑制する狙いは「不要不急の外出を要請」する日本と基本的には変わりない。

▼「移動制限」「隔離」

 個人の自由を縛らない、侵害しないという社会的規範は、日本よりも欧米の方がより熱心だ。それなのになぜ、欧米で人々の行動を厳しく規制、抑制する「ロックダウン」的な対応が長期にわたって取られたのかが、むしろ重要だ。感染症の感染拡大を抑えるロックダウン的措置は、医療的、公衆衛生的な対処方法を取るためにも不可欠であるからだ。

 日本でも昨年2月の感染拡大初期から「三密」という言葉が語られ、人と人の接触機会を抑制することが基本とされた。ワクチンなどの予防的措置が取れない間は、人と人の接触、人の行動を抑制するしかないのは、公衆衛生上当たり前のことと理解されてきたはずだ。問題は、ウイルスの強さや性質、感染の状況などに対応しての「接触と移動制限の程度」をどこに置くかという、医学的判断と政治的判断だろう。(つづく)