ハンセン病は、らい菌という細菌による慢性感染症で、「らい菌の感染力は弱く、しかもめったに発病することはない」ことは戦前においても日本政府や専門家の間では既に常識であった。にもかかわらず「強力な伝染力を持つ恐ろしい病気」として人々の心に浸透し、現在においてもハンセン病は忌避され、今なお偏見差別が残っている。

▽沖縄、資料館、出会い

 ハンセン病問題は既に終わったこととして深く考えることもなく通り過ぎていた私が、自分の無知・無関心を悔い、過去に引き戻されるきっかけとなったのは療養所での入所者との出会いだった。

 2016年、辺野古の座り込みの後、初めてハンセン病療養所「沖縄愛楽園」を訪れた。資料館を見学したものの、その時も過去の悲惨な問題と捉えるに留まっていた。2年後、駿河療養所で入所者の方の壮絶な人生にショックを受け、傍観者で居る自分を恥じた。「それまでハンセン病との出会いが無かったから…」「他の問題に取り組んでいて目を向ける余裕が無かった…」、自分自身にそんな言い訳をしながらも、遅すぎた私の学習が始まり、19年11月に友人たちと「ハンセン病問題を学ぶ市民の会」を立ち上げた。

▽日本社会の生き辛さ

 日本の「ジェノサイド」とも言えるハンセン病患者の隔離政策は、1907年の「癩予防ニ関スル件」から始まった。当時、欧米など先進国ではハンセン病患者は減少しており、先進国の仲間入りを目指す日本政府は、ハンセン病患者を「国辱」と考え治療・予防という医学的必要からではなく、患者を隠すための隔離政策を始めた。戦争が進むにつれ、優秀な国民を創るという優生思想から、隔離をさらに強化し「癩予防法」に改正したのが1931年、日本が15年戦争に突入する年であった。当時の内務省は「救癩」という名の下に、皇室を後ろ盾に全国で「無らい県運動」を展開し、医学界、宗教界、法曹界、教育界、そして市民がこぞって協力した。

 それは日本国憲法施行後も、さらに強化された。世界の流れは外来診療に向かい、日本の隔離政策に対して何度となく警告が発せられたにもかかわらず、また、塀の中に押し込められた入所者たちの命がけの抵抗にもかかわらず、「らい予防法」は90年間にわたって廃止されることがなかった。

 私は、それまで知らなかった歴史に触れ、「知ることの大切さ」を痛感した。そして、その中で生きてきた元患者の不屈の魂に絶句し、この社会での「生き辛さ」を解消する責任が私たち一人ひとりにあることを強く感じた。

▽宿泊拒否事件から

 「らい予防法」は廃止されたが国の責任は明らかにされなかったため、1998年、入所者13名は真相究明と国の責任を明らかにするために国を提訴した。01年の熊本地裁での「らい予防法違憲国家賠償訴訟」判決は国の隔離政策が違法であることを認め、ようやく政府は重い腰を上げてハンセン病問題に取り組む姿勢を見せた。

 これを受けて、厚労省と統一交渉団(ハンセン病違憲国家賠償訴訟全国原告連絡会《全原協》、全国ハンセン病療養所入所者協議会《全療協》、ハンセン病全国弁護団連絡会)によるハンセン病問題対策協議会が立ち上げられ、協議が開始された。しかし、03年の黒川温泉宿泊拒否事件がハンセン病に対する偏見差別の根強さを改めて浮き彫りにし、16年にはハンセン病元患者の家族が立ち上がった。

 親・兄弟・姉妹がハンセン病に罹患したため、家を真っ白に消毒されたり、学校でいじめられ、地域から排除されていった家族の「人生被害」が次々と法廷で語られていった。原告になったために離婚された人、原告561名のうち実名で顔を出した人が10人にも満たないという事実も明らかになり、今も続く偏見差別の実態がメディアで大きく報道された。

▽画期なした19年判決

 19年の家族訴訟における判決は、厚労大臣及び国会議員の責任を認めたのみならず、文科大臣、法務大臣をも断罪した画期的なものだった。政府は、これまでの厚労省と統一交渉団との協議に文科省、法務省を加え「3省協議」として差別解消に向けた協議を開始した。私は「3省協議」に大いに期待しているが、国の本気度に対する疑いは拭えない。形だけの通達を出して「やっています感」を演出し、必ず「巻き返し」を企てるのではないかと勘ぐってしまう。

 「無らい県運動」推進に大きな役割を果たした「救らいの父」と言われる光田健輔は文化勲章を受章し、今も長島愛生園と郷里の山口県には彼の銅像が建っている。同じく「無らい県運動」の中心的役割を担った「癩予防協会」の会長・渋沢栄一と日本MTL(注)の中心人物・賀川豊彦らにしても、「明」の部分は強調されても、「暗」の部分が語られることはない。(つづく)

 (注)日本Mission To Lepers 1920年代、賀川豊彦を中心に設立された「救癩」団体) 

 〔おしらせ〕映画『一人になる』 「隔離は必要ない」と患者に接し続けた医師・小笠原登の物語。6月5日〜シアターセブン(大阪)、6月15日〜元町映画館(神戸)。