私が長崎県に移住して強く印象を受けたのは、高齢の被爆者たちが、核のない平和な世界を求めて発信し続けている姿です。以前よりも被爆の実相と生き残った人達の生きざまを意識するようになりました。

 1945年8月9日11時2分、原子爆弾は高度約500メートルの上空で爆発し、凄まじい熱線と爆風と放射能で街を壊滅させました。約7万4千人の死者、負傷者。街全体はいわゆる「原子野」と化したのです。

▽被爆者の絵・文から

「頭が裂けて息絶えた愛児を背に半狂乱(ママ)になり、はだしで逃げ回る母親の姿」

「防火用水で丸裸で屹立して死んでいる異様な女性の姿」

「爆風で倒れた送電線が肩にひっかかりもがき苦しみつつ焼死したであろう少年らしき白骨死体」

「阿修羅のように、髪を天に真っすぐ逆立てて走ってくる女性の姿」

「大やけどを負って、手の皮がめくれ立ち尽くす女子学生の姿」

「浦上川の川底 死者と負傷した人達が大勢横たわっていた 水を求めて亡くなった人たち」

「路上に横たわる黒焦げの遺体 両側の家屋は残灰もなし 上半身だけ残り、下半身はどこに行ったか判らない」

「遺体にツナをつけて引き上げる 手に付ければ手が切れ、足に付ければ足が切れ、首に付ければ首が切れ、最後は中間に付けて引き上げる」

「臨時救護所では毎日多くの人が死んでいった 黒い遺体を集め焼いている 白骨の山」

「朝鮮人の人や米兵捕虜も犠牲になった」

「地獄を見たことはないが地獄以上ではなかったか」(NHK「ナガサキの記憶〜時代を越える原爆の絵〜」(3月12日放送)より)

▽核廃絶

 これらが全てではありません。被爆者が描いた絵と文には、「決して忘れることが出来ない人々の記憶」が刻まれています。全世界に約1万2千発もの核弾頭があることを思う時、あらためてすさまじい世界に私たちが生きていることを思い知らされます。

 核廃絶は大変難しい課題ではあるけれども実現しなければ人類の未来はないように思います。ヒロシマ・ナガサキの経験は今後、一発の核弾頭も使わせてはならないことを教えています。