東京五輪開会を目前にして、デルタ株の感染が拡大し、第5波が始まっている。開催を強行すれば、「一大感染イベント」になるのは必至だ。
民意は「五輪中止」である。各種の世論調査でも6〜8割が開催に反対。4日投開票の都議選では、自民党が事前の予想を20議席近く下回った。
失われなくていい命が失われ、医療従事者には過酷な負荷がかけられ、人びとには日常生活の抑制や生活困窮などの犠牲が強いられながら、五輪だけは強行する。その理不尽さにたいする怒りが広がっている。
しかも、「何のための誰のための五輪なのか?」「なぜ開催に固執するのか?」—菅首相をはじめ誰もまともに説明ができない。コロナ対策でも五輪開催でも、決定過程も意図も不透明なうえに、対応は場当たり的で、誰も責任を取らない。こういう政治が生活と生命にかかわる問題で横行している現実を目の当たりにした人びとの怒りと幻滅が、五輪反対の声となって吹き上がっているのだ。
▼五輪反対は反日!?
この状況にたいする右からの危機感の表明が、安倍前首相の雑誌発言だ。
「(五輪で)同じ感動や同じ体験をしていることは、日本人としての誇りを形成していくうえでも大変重要だ」「(共産党や朝日新聞など)反日的な人たちが、開催に強く反対している」
五輪でナショナリズムを昂揚させて日本の危機の打開を、という安直なシナリオが頓挫しようとしているのだ。安倍はそれを「反日の所為だ」と八つ当たりしているが、日本の危機は安倍らが考えるよりも、はるかに深い。それは、グローバル資本主義の矛盾であり、政治危機・社会崩壊の危機だ。コロナや五輪問題で政治に問われているのは、人びとの連帯に基づいた社会と経済のビジョン示すことだ。まずは東京五輪の中止である。