原爆は被爆者に限りなく多大な苦難を背負わせた。彼ら彼女らは苦悩しながらも、核の廃絶や平和を求める道を進んだ。今もなお、被爆者は核と戦争のない世界を求めてたたかい続けている。

 以下の被爆者の証言は、『写真集 長崎の証言 増補改訂版』(JRP日本リアリズム写真集団長崎支部 2020年7月22日発行)から発行責任者の承諾を得て引用した。なお引用した方々はすでに故人となっている。ご冥福をお祈りする。

▼被爆者をもう出さない〜川崎つたえさん

 夫は、原爆による体の異状が続く中で働いていましたが、仕事場で倒れ、現在まで13年間をほとんど寝たままの生活を続けています。貧血、腹痛、頭痛など10余の病気があります。石油ストーブは夏の暑い数日を除いて、年中つけています。用便は1日30回程行く時があります。冬の夜、何度も用便に立つときや、病状が悪化した時などは、私も落ち着いてねむれません。そのため、翌日の失対の仕事がたいへんからだにこたえます。夫は休養と栄養が必要です。しかし、私たちの家計で、どうして栄養のあるものが食べられましょう。失対の仕事がなくなると私達はどのようにくらせばいいのでしょうか。戦争はもうたくさんです。被爆者をもう出さないでください。

▼原爆は僕を肉深く焼いた〜山口仙二さん

 原爆は、14才の僕を肉深く焼いた。戦争は、14才の僕を葬った。/ 重い疲れのあと 原爆症の恐怖におそわれ ねむれない夜が 今日も生き残った者が いまも ひとり また ひとり 死んでいく このいいようのない孤独と寂りょう / 被爆者でさえ 忘れようとしている この もどかしさ、この もどかしさ また 或る日 突然 頭上に 原爆がさく裂しない 保証もないのに/ 戦争の残虐さを繰り返させないために 生きている時間を残されている時間を 精いっぱい生きたい。

▼世界の人々に訴える 〜渡辺千恵子さん

 私の脊椎骨折には特別の治療方法とてなく、病床から一歩も動けない毎日が続きました。被爆後3年間というもの、私はまったく自暴自棄となって、なんど自ら命を絶とうと決意したかわかりません。『渡辺さん、自分だけでじっとがまんをしないで、世界中の人々に訴えなさい』との暖かい励ましに、私は初めて自分というものの価値を見い出しました。私は母の胸に抱かれて原水禁世界大会に参加し、平和への悲願を強く訴えました。