▽学校に行けなくなった

 前田さんが夜間中学に通っていたのは、もうだいぶ前のことになる。そのころ家を訪ねると、娘を先生にしてアルファベットや分数の勉強をしている前田さんがいた。「うちは学校なんか大嫌いで、嫌やと言ってたんよ。でも、友達がどうしてもって、腕をひづくって連れていかれて」。70歳を過ぎて無理やり連れていかれた彼女が学校を好きになったのは、先生のおかげらしい。「センせ、センセって、先生を取り合いするんで必死や」と前田さんは笑った。

 前田さんは小学校の途中から学校には行かなくなった。その日のことを鮮明に覚えている。「先生に『明日、画用紙を持ってきなさい』と言われてな。家に帰ってそれを言い出せなくて。一晩中、お母さんの枕元に座っていたら朝になってしまって。それから、うち、学校には行ってないねん」。

▽ありふれた構文か

 1974年10月31日、東京高裁寺尾裁判長は「被告人の当時の表記能力、文章構成能力をもってしても、… 本件の脅迫文自体、ごくありふれた構文のものであるだけに、作成が困難であるとは認められない」として、石川さんには脅迫状は書けないとの弁護団の主張を退け、無期懲役の判決を下した。脅迫状を「ありふれた構文」といえる裁判官は、非識字者の痛みと恐怖を知らない。

 近所に住んでいた酒井さんは「うちはな、『おまえを殺す』と書いた紙を目の前に出されても、それがわからないんや」と語った。「履歴書のいらん仕事」を探して港湾の仕事についた浜田さんは、数年して「班長の昇進試験を受けろ」と言われた。「頭が真っ白になってな。結局、試験の日に何をどうしたか、覚えてないんや」と言う。

▽非識字を隠してきた

 酒井さんらの話を聞いて誰よりも驚いたのは、ムラで生まれ育った私の連れ合いだった。それを姉に話すと「そんなことあるかい」と一蹴されたという。酒井さんらの世代は、非識字を子どもたちにも隠した。役所では「目が悪うて見えへんねん」と助けを求めた。

 裁判官にとって、いや、世間にとって、狭山事件の脅迫状など「ありふれた構文」にすぎないだろう。だが、酒井さんや浜野さんにとって、読み書きはあまりに巨大な壁だった。連れ合いは「読み書きでけへんもんが、脅迫状を書いて身代金を盗ろうと考えるはずがない。それだけで十分」という。

 だが今も、狭山差別裁判は続いている。そして思う。前田さんの腕を「ひづくって」いった友人の手を。石川さんに読み書きを教え、「無実」と言わせた刑務官を。識字こそ、狭山の原点なのだ。そんなつながりが、ぼくらにもできないか。「識字と冤罪」の講演学習会でそんなことを話し合えればと思う。

〔高橋亮也〕(文中の名前は仮名)

〔お知らせ〕7月10日(土)午後3時〜 「取調べ録音テープが語る58年目の真実」七堂真紀さん(狭山事件再審弁護団・弁護士)/三宮・神戸市勤労会館(JR「三宮」駅から南側東へすぐ)主催:狭山再審を求める市民の会・こうべ