▼沈黙を破る

〜辻幸江さん

 1955年長崎初の被爆者組織「長崎原爆乙女の会」を立ち上げて、長崎被爆者の沈黙を破った。三菱長崎製鋼所で勤務中、全身に閃光を浴びた。戦後、出産した男児の死、離婚など、二重三重の苦しみを背負い込んだ。女性5人で「会」を旗上げし、新聞配達や学校の事務補助をしながら活動。「核兵器の禁止は、被爆国である日本国民こそが率先して広く世界に訴えなければならない」と訴えた。今年5月に95歳で亡くなった。

▼英語学び、語り続ける

〜築城(ついき)昭平さん(93)

 爆心地から1・8キロで被爆。左腕には今もケロイドが残る。語り部50年。「核兵器は人を人でなくしてしまう」と言い続けてきた。「政府が条約を批准しなかったとしても、廃絶へ世論を広げることはできる」。そのために原爆で何が起きたか知ってもらわねば、と3年前から本格的に英語を学び始めた。死ぬまで語り続ける。

▼平和のために粘り強く

 7月9日、平和祈念像までおこなわれた468回目の連続反核9の日座り込み行動の発言から。

 長崎県平和運動センター「7月5日に安保法制違憲訴訟の、長崎地裁判決で全面的に退けられた。多国籍軍への後方支援で、自衛隊員が危険にさらされる。日本政府が戦争できる国へと変えようとしていることを阻止しないといけない。」

 原水禁日本国民会議「5年余りたたかってきた安保法制の判決。全国でもコピーしたような同じ判決を数多く下している。三権分立のはずなのに、今の裁判所は行政権力に忖度している。合憲か違憲かの判断示さず、逃げている」

 安保法制違憲国賠訴訟を支える長崎の会「違憲訴訟は、原告敗訴の不当判決。控訴する。安保法制が憲法違反なのはまちがいない。平和的生存権が侵害されている。日本は、戦争する体制を強化し、戦争の一歩手前。この判決では、戦争が起こって国民が死傷しないと裁判を起こせないというもの。裁判所は政府の従属機関となっている。悲惨な歴史を繰り返すことはできない」。

 このように長崎県内では平和のために粘り強い取り組みが続いている。

(つづく)