ビキニ第五福竜丸の大石又七さんが3月に亡くなり、17年に「平和の夕べ」で証言した小野瑛子さん、小林圭二さんらも、他界した。被爆76年目の「8・6ヒロシマ平和の夕べ」は、被爆の継承、核廃絶をどう進めるか問いながら、開催された。「うれしいこともあった。1月に核兵器禁止条約が発効。7月、『黒い雨』被爆者に手帳が発行されることが確定した」(開会あいさつ、河野美代子さん)。

 2回目のコロナ禍のもとでの開催だった。会場参加には人数制限もあったが、オンラインでの参加も多く予定数を上回った。8月6日、ヒロシマから核廃絶への課題と方途が各地に広がり、持ち帰られた。

 「黒い雨」訴訟の高東征二さん、「10年目の福島から」は、いわき市の伊東達也さん。平和講演は「核兵器禁止条約の発効と核廃絶」について田井中雅人さん。世代を越えて被爆の実相をどうつなぐか、若い世代から高橋悠太さんら3人が参加、KNOW NUKES TOKYOの活動や国会議員に面談し核禁条約への意見、日本政府の参加について質問し、まとめていることを紹介した。

 高東さんは、「7月29日に判決が確定。8月3日に、私もやっと被爆者健康手帳を受けた。さまざまの事情で裁判に参加できなかった被爆者もいる。もう、1日も待てない。国はすべての黒い雨被爆者に、一刻も早く手帳を出してほしい。内部被ばくの危険に、真剣に向き合うべきだ」と話した。福島からは、「10年目。避難指示区域の12市町村を見ると、住民登録の半数が戻れていない。小中学校の通学者数は事故前の1割弱。営農再開は30%余。福島の難事は続いている。“廃炉”が30年、40年で終わるなど、あり得ない。今年の3・11、楢葉町に『非核の火』を灯した。ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマが『核と共存できない』と結ばれた」と伊東さん。

 3人の若者は、「それぞれ広島、長崎出身ですが、東京で核兵器の問題を考え訴えています。東京にも多くの被爆者がお住まいです。核兵器禁止条約に日本が加わるために、どうすれば。政治へのアプローチは重要。国会議員一人ひとりに、あなたはどう考えますかと聞くことを始めました」「ノー・ニュークスのKNOWは、反対のノーと知るノーです」と、核廃絶と被爆の継承への新しいとりくみを説明した。

 「核の時代を終わらせるために」。田井中さんは、「核を使用、保持した側の『ヒバクの過小評価』の始まり。中川保雄・教授(故人)は最初に、その誤りを検証し明らかにした(『放射線被曝の歴史』)。核大国は、ヒバク大国。風下の住民たちからの告発。核・ヒバクの語られ方の転換。核禁条約は、『核は悪、毒』の本質を突き、黒い雨判決は、核の語られ方の転換になる」と、豊富な取材体験から提起した。参加者には、この後、ヒロシマから9日ナガサキへ向かった人もあった。(発言の要旨は次号に紹介)