菅政権が発足と同時にぶち上げた政策のひとつに「不妊治療」の保険適用拡大がある。今日、日本は16人にひとりが体外受精で産まれる世界一の「不妊治療」大国。治療費の負担額は多い場合100万円を超える。人生をかけ、多くの犠牲を払いながら治療を受けている人にとって保健適用の拡大は朗報だろう。しかし菅政権は決して当事者の苦悩に寄り添っているわけではないし、これが有効な少子化対策にならないことは明らかだ。

 不妊の原因の多くは生活・労働・社会・地球を取り巻く環境の悪化が複雑に絡み合っていると思う。子孫を残す生殖は生命体がもつ基本的な能力であり営みだ。それが後退している現実は今日の社会の「発展」の方向性の根本的問題を突き出している。「不妊治療」は「治療」という言葉で、この根本原因から目をそむけさせるものだ。

 さらに保険適用拡大は「不妊治療」拡大を誘導し、深刻な問題をますます広く社会に拡散していく。社会保険料の公費負担を増大させ、とりわけ高齢者や重病・難病、障がい者のための医療費を削減する政策とも一体である。

 そもそも不妊は病なのだろうか。「医療として」体外受精のような技術を使って「治療」することがふさわしいことなのか。1978年世界で初めて試験管ベービーが誕生した時、生命倫理をめぐり大きな論争がまきおこった。ところが、いつのまにか「不妊治療」は「通常医療」となってしまった。

 しかし、これは本来の医療とは本質を異にするものだ。「不妊治療」の目的は唯一出産にいたることであり、厳密な成功率は15〜20%だ。それ以外の場合、多くの人にとって、施された「治療」はすべて無意味なものとなる。無意味なばかりか、その過程で安易でひどい命の切り捨てが進む。当事者に残される費用、仕事や生活、心と身体全般への負担や傷も大きい。

 夫以外の男性精子を使った場合、遺伝上の父と育ての父が違うことを知ったときの子どもの苦悩。受精卵の取り違えとその結果行われる中絶。体外受精の際に子宮に戻さなかった「余剰胚」の研究への利用の是非など。さまざまな問題が浮上してきた。体外受精が実際に使われるようになったのは80年代だが、本格的な調査、報道、社会問題化がなされるようになったのは30年以上たってからのこと。

 生命操作が、当事者の人生や社会全体にどのような影響をもたらしていくのか、想像力を働かせ検証することなく、技術だけが飛躍的に進歩し、実用化されてきたのが実態だ。生殖、出産、死までの一生を通じ、ますます命を軽くし、選別していく生命操作について次回も考えていきたい。

(つづく)