メディアでは連日アフガニスタンから敗走する米軍の様子が報じられている。そこでは、タリバーンを「イスラム原理主義のテロリストグループ」という印象づける報道ばかりがくりかえされている。

 「自由」「民主主義」「人権」をしたり顔で論ずる評論家もいる。しかし、私たちはアフガニスタンのことをどれほど知っているのだろう。アフガニスタンおよびその周辺国で何が起こってきたのかを、知っているのだろうか。

 アフガニスタンから、8000キロの距離にある私たちには、現地の実際の姿をうかがい知ることはむずかしい。それでも知ろうと思えば、そこに近づくことはできる。たとえば、中村哲医師が残した著作や談話を読むだけでも、マスコミが伝えているものとの違いを感じるはずだ。

 2001年の9・11後に米軍によるアフガニスタン侵攻後の欧米諸国夜日本の「タリバーンなきアフガン復興」騒ぎを中村哲医師は、「罪のない子をたくさん餓死させた上、ご丁寧に爆弾を振りまいて殺傷し、今さら教育支援だの、医療支援だのあるものか、ヒトの命をなんと思っているんだ」(『医者、用水路を拓く』)と書いていた。

 当時、彼はアフガニスタン国境に近いパキスタンの州都・ペシャワールで医療支援をしていた。 アフガニスタンの普通の人びとの目線で、あの時、あの場所で何がおこっていたのかを、私たちは謙虚に学ぶ必要がある。

▼大英帝国・ソ連・米

 これからも多くの困難に直面するであろうアフガニスタン。20世紀初頭に大英帝国に勝利し、いち早く独立を実現したアフガニスタン。様々な言語と民族・部族が同居するアフガニスタン。100年にわたって独立自尊の歴史をはぐくみ、ソビエト連邦とアメリカ合衆国という両大国の軍隊にたいして、敗北を強制したアフガニスンタン。このような人びとがかつて世界に存在しただろか。

 世界史の転換点で、アフガニスタンはくりかえし人びとの眼前に登場してきた。その歴史と生活に触れることからはじめなければならない。

 アフガニスタンからの撤退によって、アメリカのアジア戦略は新たなステージに入ることになる。それは、バイデン政権下においても続く「国際介入主義」と「孤立主義」のせめぎ合いのなかで、混迷を深めていくことになるだろう。

 ネットで「インサイト 中村哲」と検索すると、中村医師のインタビュー記事が読める。2002年から2016年までのアフガニスタンの様子がわかりやすく述べられている。https://www.rockinon.co.jp/sight/nakamura-tetsu/

(秋田勝)