もう一つのキーワード、強制帰国、保証金というのがある。今は、制度上、保証金は禁止されているが、だいたい50万円から100万円の保証金を取る。3年間、何もなければ返ってくる。何かあれば没収される。その恐怖感がある。途中帰国は怖い。逆らえない。「失踪」さえ許されない構造になっている。受入れ企業や農家が一次受入機関(今の監理団体)主導で見せしめのために、強制帰国をやる。07年12月に、私たちの事務所に4人の中国人男性実習生が相談に来た。「栃木県の農家で働いているけど、1年365日、1日も休みがない。パスポートを取り上げられ、携帯電話、パソコンも禁止。時給500円くらい。なんとかしてほしい」と。朝5時に起き、イチゴの摘み取り、包装作業で夜10時まで働かせられ、年中無休。少ない給料から「強制貯金をさせられ、その通帳や印鑑も取り上げられている」ということだった。

 携帯、パソコンを禁止しているのは、農家の側も自分たちが悪いことだと認識しているから。休んで「東京に来た」のがバレたら、報復されるかもしれない。彼らは、こっそり携帯電話を隠し持っていた。「帰って何かあったら電話して」と言った。すると3日後の早朝に電話があり、「今、トイレから電話している。警察官が5人来ました」と。実習生5人に警官がマンツーマンで「荷物まとめて国に帰れ!」と、マイクロバスが用意してあり空港に連れて行かれる、と言う。

 連絡した労組のスタッフが成田空港、中国航空カウンターに待機していると、グレーのスーツ、耳にイヤホーンを着けた私服警官たちが、実習生たちのベルトを掴んでやって来た。スタッフが「放せ!」と言うが、放さない。もみ合いになり、制服の警察官がドーッと来た。すると、5人の私服警官はスッといなくなった。彼らは、ニセ警官だった。「警察だ」と名乗っていたが、農家側が雇った警備会社の人間だった。5人と他の実習生を上野のシェルターに保護し、その後、農家とは交渉し補償させた。

  技能実習生に対する殴る、蹴るの暴力事件、ヘルメットの上からハンマーで殴ることも起きている。最近、顕在化してきたのが妊娠、出産問題。19年、川崎で起きた中国人実習生の嬰児遺棄事件、子どもを育ててくれそうなところに置いてきた。新聞報道があり、弁護士と接見に行った。裁判で執行猶予、会社との話し合いで解決した。  

▽「何をやってもいい」という感覚に

 「日本人との恋愛禁止、妊娠・出産禁止、妊娠したら強制帰国」などと、契約書に書かされている。「日本人と接触すること、外泊も禁止」「慢性病、エイズ、及び妊娠の場合、強制帰国」(ベトナム)などとしているところもある。差別であり、人権蹂躙。労働者として働く以上、労働者としての権利もある。受け入れる側の監理団体も知っているはずだが、監理理団体がやらせている。これら、すべて日本側の問題だ。

 なぜ、こういうことが起きるのか。政府は「制度を理解していない一部だ」と説明するが、一部であればとっくに解決している。労働組合運動をやってきて、よくない社長とか暴力団がらみとかいっぱい見てきた。ところが、この制度における社長に、こういう人はいない。ごく普通の社長さん、自治会や子ども会活動をしているような人たち。どうして変わるのか。外国人労働者を、制度として「モノ」扱いしている。労使関係で1人の人間として対等に接していない。徒弟制度(主従法)や奴隷労働の労使関係、人格を無視した人身売買、奴隷労働が行なわれている。200年くらい前の感覚になっている。

 雇用契約で賃金など労働条件が決まるのではなく、制度上がんじがらめになっている。送る側の国で「3年で300〜400万円稼げる」と人を集める。月に400時間、人格を蹂躙し働かせたりしている。日本の労働法など有名無実化し、人身売買、奴隷労働という構造だ。「何をやってもいい」という感覚になってしまう。いい社長も、いい社長でなくなる。戦争が人を変えるのと同じ構造になっている。

 この30年を少し振り返ってみると、バブル経済の時はオーバースティの容認政策だった。就労ビザ、労働ビザがないなか観光ビザで来てそのまま働く。職質で交番に連れて行かれても、社長が飛んできて「いま連れて行かれると困る」と言うと、「そうか」と放される。「明日、取り締まりあるよ」という情報が、経営者団体から入ると、外国人労働者を休ませる。それでバブル経済が成り立ってきた。

 日系労働者導入政策がうまくいかないなか、10年に外国人技能実習生制度に舵をきった。ローテーション労働力として確保し、3年間で帰ってもらうということを考えた。しかし労働現場では、仕事を教える人がいなくなり、技能実習生に仕事を教えることができなくなった。現場は、ますます高齢化する。長く働いてもらいたい、資格を取ってもらいたいという要望が出てきた。経営側から「何とかならないか」と、その隙間を埋めたのが難民申請と留学制度だった。それでオリ、パラ準備は助かった。

(つづく)