私も参加する「市民デモHYOGO(こわすな憲法!いのちとくらし!)」による連続学習会の第1回(6月)のテーマは「歴史から沖縄を考える」。講師は「辺野古の海に基地をつくらせない神戸行動」の松原康彦さん。その話を、まとめてみた。(竹田)

▽征服者としての日本

 明治の廃藩置県のとき、沖縄は薩摩に従属させられており、あえて強権を用いる必要はなかった。しかし実際の「処分」のありようは、まさに敵国か外国に対するのと同様だった。軍事力を背景とし、日本が征服者であり沖縄が被征服者という関係をつくった。それは近代沖縄における深刻な問題をもたらした。今日まで続く本土・ヤマトの民衆の沖縄への差別意識の根幹、背景となっている。

 日本政府は皇民化教育、方言禁止など「国民化、臣民化としての��近代教育�=vを進めるとともに、一方では1895年には尋常中学校での英語科を廃止し、沖縄民衆の高等教育への機会をも奪っていった。これらを通じ、明治31年に沖縄県に徴兵制が施行される(明治日本は6年から)。日露戦争を前に、あえて「帝国臣民の誇り」を押しつけ、軍国日本に組み入れる契機とした。

 日本が植民地とした朝鮮、台湾での同化政策は、沖縄に先立つアイヌ民族への日本語教育と皇民化教育が2本柱とされていた。沖縄は期せずして、北海道とともに日本の植民地政策の実験場にされた。軍事拠点としての沖縄は、帝国日本による台湾の植民地化に示されたように、南方国防と南西への勢力圏拡大の足場とされていった。

 同時に、長い屈辱のくびき、圧政からの解放を芽生えさせる謝花昇の民権運動や、宮古の農民による重税への叛乱とも言うべき立ち上がりなどが、沖縄の歴史を動かしてきたことを見ておきたい。

▽変わらぬ戦前、戦後 

 日本の戦前と戦後は、基本的なところで何ら変わらず、そのままつながっている。戦後、GHQによる強制的な改革もあったが、政府や旧内務省、警察・検察、司法も内実は何一つ変わることなく残った。85年、知花昌一さんが「国民体育大会」の日の丸を焼き捨てたのは、そこに72年「復帰」の現実、戦前・戦後のヤマトによる差別支配を見たからではないか。

 別言すれば、戦後ヤマトの民衆である私たちも、ヤマトを根底から覆すことができないまま平和と民主主義に与してきたのではなかったか。基地付き返還。そして、今日なお巨大な米軍基地を置き、自衛隊の南西諸島への配備、米軍辺野古新基地の建設を進め、その構造と差別意識を続けている。

 沖縄のみなさんが、私たちヤマトに面と向かって言われることは、ほとんどない。だからこそ私たちは、その自覚と認識をしっかりと持っていかなければと強く思う。