「50年後も観てもらえる映画を作りたい」と話していた高橋一郎監督が6月4日、映画『一人になる』完成記念シンポジウムの席上倒れ、心筋梗塞のため帰らぬ人になりました。高橋監督の物静かな姿と同時に映画に込められた、熱い思いの一言一言が今もよみがえってきます。

▽高橋監督の遺作

 10月17日(日)、高橋監督の遺作となった『一人になる』の上映とシンポジウムを、追悼の意味を込め開催します。

 映画は、「ハンセン病患者を強制隔離する」という国策が官民一体となって繰り広げられていた時、「ハンセン病は伝染病であるが微弱、強制隔離の必要はない」と主張し続けた小笠原登医師の生き方を描いたドキュメンタリー映画です。

 高橋監督の言葉を借りながら、小笠原登について紹介します。

 小笠原登は、3つの顔を持っていました。医師としての顔、無らい県運動を推進する国家公務員としての顔(当時、京都帝国大学の医師であり、その後は国立ハンセン病療養所で働くことになります)、そして真宗大谷派の僧侶としての顔です。

 真宗大谷派は、宗教界の中でも突出して隔離政策に加担してきた宗派でした。小笠原登にとって自らが帰依する宗派に無視されることは、最も孤独だったに違いないでしょう。それでも彼は、国の圧力に屈することなく、医師として医療の原点を貫きました。当時の医師たちは、小笠原登が主張していた「ハンセン病は強烈な伝染病ではない」ということを分かっていながら、医師としての責任を放棄し、沈黙を続けたのです。

▽同調圧力に屈しない

 現在直面している光景に非常によく似ていませんか? このコロナ禍で、毎日いやと言うほど見せられる政治、医療の状況が、まるで写し鏡のように感じられます。

 「同調圧力に屈しない」…高橋監督が「一人になる」というタイトルを選んだ理由が、そこにあります。高橋監督は、亡くなる直前、まるで私たちへの遺言のように訴えました。

 「ハンセン病問題の基調は『優生思想』であり、それは現代の問題と繋がっている。ハンセン病の源流は『ハンセン病患者は国辱である』という優生思想です。『あなたたちは存在してはいけない』ということであり、療養所内では断種・堕胎を当たり前のように行なっていた。戦後、基本的人権の尊重を謳う憲法が出来たにもかかわらず、らい予防法が生き続けたのは優生思想が浸透していたからだ。国賠訴訟以来、少しは知識が拡がっているが、草刈しても根っこは残っている。相模原事件、ALSO患者自殺ほう助など、根っこは同じだ。優生思想を何とかしなければ、また同じことが起こる」。これが高橋監督の最後の言葉でした。

 「彼は革命家ではないし、過激なことを唱えているわけでもありません。科学的に正しいと思うことを主張しているだけです。一人でもモノが言えるということ、それは民主主義の基本だと思います」。高橋監督が、語った言葉です。ぜひ、映画を見てください。

 そして、まず「一人になる」ことを考えてみませんか。(玉井昌子/ハンセン病問題を学ぶ市民の会)

■『一人になる』映画上映とシンポジウム ・とき/10月17日(日)映画 13:30〜 シンポジウム 15:00〜16:00 ・ところ/西宮勤労会館ホール ・参加費500円(障がい者、学生無料) ・主催/ハンセン病問題を学ぶ市民の会(080−6174—9650)