どっちが「偽装」か

 入管法改悪について、「偽装難民がいるのではないか」という人がいるが、どっちが偽装しているのか。日本の社会ではないのか。留学生の88%が働いている。これは、おかしい。ブローカーが暗躍している。「ポツンと一軒家」という番組が高視聴率だが、そういうところでも技能実習生は働いている。いつから偽装が始まったのか。初めからだ。

 労使対等の原則は、重要。労働側が言うだけではなく、国連のグローバルコンパクト、オリンピック憲章、経団連の企業行動憲章、ビジネスと人権(サプライチェーン)、人権をふまえるべき。大手大企業は下請け、孫請けに責任を取っていかなければならない。日本の前史、強制連行の歴史が示す事実を直視し、反省するべき。管理・監視の入管政策を改めるべき。「受け入れと共生」「職場と地域」「労働と生活」は、切り離せない空間だ。

 19年、東京電力が「廃炉作業に技能実習生は使えないか」と言うと、入管庁は「可能である」と答えた。しかし、厚生労働省がストップをかけた。なぜか。90年代から私たちは毎年交渉をおこなってきていた。そこで労働問題、労災等を論議してきた経過がある。

日本で生まれたにも関わらず、非正規滞在外国人の子どもには、在留資格がない、健康保険証が発行されない。在留資格があっても、住民サービスでは、例えば「還付通知」、「児童手当現況報告」とかすべて日本語で書かれている。長く日本で働き、生活しているので、話してもらえればわかることも、文字ではわからない。これも移民政策をとらないとする中央政府によるねじれである。

 そして、「外国人は犯罪の温床」キャンペーンがある。事実は、例えば「不法就労」と言われる外国人労働者の犯罪発生率はきわめて低い。考えれば当たり前、「稼ぐ」ために日本にやってきている。できるだけ周りと仲良くやっていきたいと考えている。閣僚が、いまだに「日本は単一民族国家だ」と発言する。アイヌが先住民族であると国会決議にもなっているのに。

「先進国」日本がとるべき政策

大きな労働組合が、外国人問題を課題として掲げない。戦前から中国人、そして韓国、朝鮮の人たちが働いていたのに。いっしょに働ければ同僚であり、仲間である。「雇用が競合する(仕事を取られる)」という発想がおかしい。いっしょに労働問題に取り組めばいい。政府が移民政策をとらないと言うから、ヘイトスピーチも生み出される。「働く」ということは生活上の問題、子ども、病気、さまざまな問題がある。言葉の問題、10万円給付のとき「外国人も貰えますよ」といっても、申請はすべて日本語になっており、書くことができない。雇用調整助成金も、そう。おかしい。もうすでに、多民族・多文化共生社会が始まっている。日本人で海外に長期滞在、移住している人たちは、19年の調査で141万人にもいる。地球的規模で人が移動し、その地域で人権が尊重され労働基準が担保される、そういう社会が求められることになってきている。先進国である日本が、どういう移民政策をとるのか、労働者が労働者として働くことができる社会をどうつくっていくのかが問われている。

 ところが、入管法の改悪の動き。オリ、パラ準備はもう終わっている、難民申請中の人はいらない、3回申請したら偽装難民、帰国させる。求められているのは「不法」就労、「不法」滞在を合法化すること。日本の在留資格の不整備に問題がある。帰国できる人は、帰国している。帰国できない人は、日本社会に馴染み地域と関係し、子どもが生まれたという人たち。こういう事実を見ていない。「送還忌避罪、監理人制度をつくり管理させる」という入管法の改悪は、犯罪人をつくるということ。長野オリンピックの後に、「ホワイトスノー作戦」というのがあった。オリンピック準備で働かせておき、その後、長野県警がいっせい摘発した事件。とんでもない。同じような発想を今またしている。

共生社会は、始まっている

入管法改悪を何としても止めようと、1人でも国会前で座り込もうと行動した。みんなが繋がり、署名も10万筆を超えた。日に日に若い人たちが集まり、手作りのプラカードをつくり、20人くらいと思っていたら、100人200人集まった。

 「入管法改悪にNO!」の先にあるのは、「移民、難民は民主主義を体現する存在」ということ。民主主義の真髄、政治の本分は、投票権のない人々、声をあげられない人々とともにあること。誰ひとり取り残されることのない社会への共感が拡がっているのではないか。反対運動のなかで実感している。多民族・多文化共生社会は、始まっている。(おわり)