菅首相の突然の退陣表明は、9年間にわたるアベ(スガ)政治の矛盾と破綻を突き出した。その背景を正確に把握することは、政治の転換をめざすうえで不可欠だ。そのための試論であると同時に論争の呼びかけとして本論考を掲載する。(本紙編集委員会)

▽菅退陣の背景

 9月3日、菅首相が退任の意志を表明した。他人の批判に耳を貸さず、都合のいい情報だけを集め、民衆を見下した菅の政治スタイルが、コロナ禍の中で政権運営の破綻をもたらしたことは明らかである。戦後を振り返れば、政策の当否は別にして、かつて自民党の政治家は庶民感覚をそれなりに理解し、民衆に訴え、その支持の下で政治を行っていた。彼らは、民衆の自発的服従を伴わない限り、命令だけでは権力を維持できないことを理解していたと思う。特定支持者以外とのコミュニケーションを拒否する、いわゆる「アベ政治」はいつからどうして始まったかのだろうか。各所で指摘されているように、小選挙区制の導入と官僚の人事権を内閣に集中させたことが、首相の独裁的性格を強化する大きな契機になった点は確かにその通りだと思う。しかし、その背景にある大きな要因として、ソ連崩壊後30年にわたり、日本の国家権力がアメリカ「帝国」に従属的に組み込まれてきた点を見逃すことはできない。

▽アメリカ帝国

 ソ冷戦が終わって米国一極支配と言われる状態がごく最近まで続いてきた。この「アメリカ帝国」—他に適切な表現が見当たらないのでとりあえずこう呼ぶ—とその崩壊という要素を抜きに日本の国内政治を理解することも難しい。

 米国では、金融資本と軍産複合体という二大勢力が拮抗しながら国家権力を行使している。軍事に投入される費用は狭義の国防予算80兆円、イラク、アフガン戦費併せると一50兆円、それ以外に諜報機関CIAや各国の軍・警察幹部の教育など、広義の軍事費用を含めれば、軍産複合体が国家予算の過半を呑み込んできたと言われる。特に予算の使途と活動内容について議会の監督を受けないCIAは、「大統領の私兵集団」「国家内国家」とも呼ばれ、その腐敗が著しい。

 「軍産」という場合、石油メジャーやロッキード、ゼネラル・モーターズなど狭義の軍需企業だけでなく、ほとんどの米企業が何らかの形で軍と結びつき、軍事と無関係な会社を探す方が難しい。例えば精密誘導弾で使われるコンピューターはすべてアップル製、スタバやダンキンドーナッツは世界中のどの米軍基地にも店舗がある。ゲーム会社が軍の教育シミュレーションを作成し、戦争ゲームの登録名簿が軍の勧誘リストとなっている(新兵の四割がゲーマー)。映画会社が軍に好意的な映画をつくれば空母や戦車を撮影のためにタダで貸してもらえる。

▽世界の米軍基地

 世界に散在する米軍基地は公称700超、秘密基地を含めるとおそらく1000カ所を上回り、25万の軍人が常時海外展開している。たいていの場合、米軍兵士は地位協定によって駐屯先の法律の埒外に置かれている。米軍基地は帝国の威容を誇示し、帝国の治安を維持し、軍産の構成員が本国よりも優雅な生活を送るために必要なのであって、軍事的理由はとってつけた口実にすぎない。基地の存在自体が軍産複合体の利権であり、これを維持することが彼らの自己目的となっている。

 もともと東西冷戦自体、アメリカ・ソ連という二大帝国が分割支配を合理化するための茶番だったが、極東ソ連軍が消滅したことで日本に上陸・侵攻する意図と能力をもった軍隊は近隣に存在しなくなり、米軍が沖縄に駐留する口実もなくなった。にもかかわらず、なぜ東アジアで米軍10万人を前方展開する必要があるのか?それが軍産複合体の利権だからであって、「不透明で不確実な状況」とか「予想しがたい危険」などといった理屈は後からいくらでもついてくる。沖縄米軍基地の撤去が容易でないのは、日米安保体制と沖縄米軍基地が「アメリカ帝国」の存続と結びついているからである。日米安保を破棄し、沖縄から基地をなくすということは、アメリカが「帝国」ではなくなるということなのである。

▽支配階級内部の抗争

 国際政治状況が根本的に変わった時、日本の支配サークルのなかで、軍事・外交の決定権を全面的に米国に依存し、「アメリカ帝国」と一体化することに日本の将来を委ねるグループと、「米国追従」に違和感を覚え、日米安保同盟を相対化し、米国と距離を置こうとするグループの対立と抗争が顕在化した。「アメリカ帝国の属領」として生きるのか、それとも「帝国」から相対的に距離をおいて独自国家の道をめざすのか、という路線対立を抜きに、この30年の政治は理解しづらい。

 顕著な例は、94年の細川政権と09年の鳩山民主党政権であろう。細川政権の諮問機関・安保防衛問題懇談会の通称「樋口レポート」が、国連中心主義を日米安保の上に置いたことにたいして米軍は激甚に反応し、「ナイ・レポ—ト」を皮切りに日米安保再定義、新安保ガイドライン策定へと続く米軍の巻き返しが生じた。鳩山政権が普天間基地の辺野古移設を白紙化して「少なくとも県外移設」を唱え、これと同時に小沢一郎が200人の国会議員団を率いて訪中した際も、米軍の反発を引き起こした。

 これとは対照的に、「帝国」との一体化を目指したもう一方の極が、米国の「反テロ戦争」無条件支持を打ち出した小泉政権とその後を継いだ安倍政権だった。

(つづく)