
湖東病院事件で再審無罪を勝ちとった裁判の原告弁護団長をつとめた井戸謙一弁護士の講演会が9月18日、滋賀県大津市内で開かれた。
井戸さんが裁判官に任官した1979年と退官した2011年では、裁判官や裁判所が大きく変化した。安保法制違憲訴訟では、違憲が明らかなのに16地裁、3高裁がすべて憲法判断を回避した。行政訴訟は日本の闇である。新件数は年間2〜3千件だが「情報公開」以外はほとんど勝てない。韓国では約60万件、ドイツでは数百万件。勝訴率もまったくちがう。
戦後の司法は、憲法は変わったが人は変わらなかった。新憲法を学んだ若い裁判官が入ったのは60年代になってから。もっとも自由な時代だった。2000人ほどの裁判官のうち、300人ほどが青年法律家協会(青法協)の会員だった。
戦前、司法省の役人だった石田和外(かずと)が最高裁長官時代(69年〜73年)に司法反動を主導。青法協の裁判官部会など自主的団体や研究会は2000年代に消滅した。
▽法曹一元が原則
裁判官制度は弁護士経験者から任用する法曹一元であるべきだ。現行憲法はそれを想定している(任期10年、給与減額禁止等)。英国、米国、韓国も法曹一元制だ。日本では50年代に論議になったが、当時は弁護士が少なく実現しなかった。
現在のキャリア裁判官システムでは、最高裁人事局が人事を支配している。裁判官には民主的基盤がないので、国や行政の行為を違法と判断するのに慎重になる。安倍内閣では行政による最高裁支配が進んだ。2017年、安倍内閣は最高裁判事の弁護士枠で日弁連推薦を無視し、裁判官枠の候補についても複数名の推薦を要求した。
現在、岡口基一判事のSNSでの投稿をめぐって弾劾裁判が進行しているが、彼が罷免されると裁判官は今以上に引きこもるだろう。岡口判事の豊富な学識と適切な判断は誰もが認めるものだ。
井戸さんは、「日本の司法の抱える問題を知った者は、その改革に取り組むことが責務である」と締め括った。
(多賀信一)