
▼苛酷な家制度
私有財産の発生以来、女は家制度のもとで家内奴隷とされてきた。結婚も性交も、子産み・子育ても、家事労働や看護・介護も、女性に自己決定権はなかった。もちろん、そこに何の喜びや意義を感じることがなかったわけではないと思うが。
明治時代の家制度は、江戸時代の武士階級の制度をモデルにして、近代天皇制の礎として明治民法が制定され(1898年・明31〜1947年・昭22)、より苛酷なものとなった。戸主を定め、戸主は天皇に見立てられ、家族への殺生与奪権を付与された。もちろん女性が自らの思いから自由に結婚することなど許されなかった。そうした時代の中で生きた、ひとりの女性を紹介する。
▼家出の決断
私の祖母(母の母)は1891年、熊本県の田舎にある小さな地主の家に生まれた。女学校を出て高等小学校の教員をしていた。あるとき、酒飲みの父親が、村一番の金持ちの息子との結婚話をもちかけられ、承諾してしまう。祖母は、それから逃れるためには家出しかないと考えた。ただちに入念な準備にとりかかったのだろう。電話も手ごろな地図もない時代だ。
式の直前、ふろしき包みひとつを抱えた祖母は、開通して間もない汽車に乗りこみ、車中で一泊して東京へたどり着く。豊島区に着いたときには、陽はとっぷりと暮れていた。若い女性が安全なのは墓場だと考え、雑司ヶ谷墓地で野宿。翌日、熊本出身の大きな屋敷をかまえた知人を訪ね、女中兼家庭教師をしながら居候。やがて内務大臣と結婚をしていた女学校の先輩の保証で、日本女子大に入学する。(つづく)