
主人公のキム・ジヨン(韓国における1982年生まれに最も多い名前)は、夫と2歳2か月になる娘と暮らす平均的な30代の女性。出産・育児のため仕事をやめ、家事と育児に追われる日々。そんなジヨンは、突然他人が乗り移ったような言動をするようになる。正月に夫の実家で義母や義姉に気を使いながら家事をしている時には、自分の母が乗り移ったようになって「奥さん、うちのジヨンを実家に帰してください。私も娘に会いたい」と言い出す。夫に対しても友人に乗り移ったようになって「ジヨンに『よくやった、苦労しているな、ありがとう』とたくさん言ってあげて」と言い出す。その時の記憶はジヨンにはない。他人に乗り移って、ジヨンは心の奥底の言葉を吐き出す。
なぜ、ジヨンの心は壊れてしまったのか。映画ではジヨンのこれまでの人生や日常生活を淡々と描く。子どもの頃から学生時代までの父の言動、母の人生、伯母たちの言葉、就職した職場の状況、社会から切り離され家事と子育てに追われる孤独な日々、子連れの外出での困難やそこに投げかけられる無理解や非難、そして子育てしながら仕事に復帰したいと熱望するジヨンの前に立ちはだかる壁。今の社会に「よくある日常」「ありふれた人生」だが、「あー、同じようなことあったわ」「わかる、わかる」と何度も感じる。女性の心が傷つく「ある、ある」の連続。私自身も含め多くの女性がその「ある、ある」を呑み込んで生きてきたことだろう。中には女性への差別や偏見と感じることもなく「当たり前」と受け止めスルーしてきたものもある。
その「ある、ある」の積み重ねは澱となってジヨンの心にたまり、真綿のようにジヨンを締め付け、時にナイフのように突き刺さっていたのだ。ジヨンは「誰かのお母さん、誰かの妻でいることは、時に幸せもあるけど、何か閉じ込められている気がする」と精神科医に語る。
この映画は、現代社会における女性の生きづらさを、「見える化」した点がまずはすごいと思う。多くの、特に子育て中の女性は、ジヨンを自分や、自分の友人と感じただろう。そして、呑み込まなくてもいいんだよ、「おかしい」「傷ついている」と言っていいんだよと、背中を後押しされたように感じるのではないだろうか。そのようにして今の社会のあり方に疑問を感じた人たちが、性別を問わず声を上げていくことが社会を変える力になる。2016年発刊された原作(著者チョ・ナムジュ)は韓国で130万部という異例の大ベストセラーとなり、日本、中国、台湾でも大きな反響を呼び、さらに25か国の・地域で翻訳がすすんでいる。その事実にすでに大きな希望を感じる。
(ちなみに映画と原作の小説ではラストが違っているらしい。小説も読んでみたい。)
(菊池春香)