1947年に発表された、山之口獏の「会話」という詩がある。

 「お国は?と女が言った」で始まる詩である。詩の展開は、男が「ずっとむかふ(向こう)」と遠まわしに答えても、畳み掛けてくる。「ずっとむかふとは?と女が言った」

 当時、ストレートに沖縄とは言い出せない気持ちが、よく出ている。「それはずっとむかふ、日本列島の南端の一寸手前なんだが、南方」

 南方と答える。さらに「南方とは?と女が言った」

 「竜舌蘭と梯梧と阿旦とパパイヤなどの植物たちが」「日本語は通じるのかなどと談し合いしながら」「あの僕の国か」

 「亜熱帯」「アネッタイ!と女は言った」「亜熱帯なんだが、目の前に見える亜熱帯が見えないのか!この僕のやうに、日本語の通じる日本人が、すなわち亜熱帯に生まれた僕らなんだと僕はおもふんだが、酋長だの土人だの泡盛だのの同義語でも眺めるかのように、世間の偏見達が眺めるあの僕の国か」

 この詩が書かれたころに比べ、今は沖縄の地理的位置がわからない人はいない。沖縄の文化、風習を好奇な目で見る人もいなくなった。大阪の機動隊員に土人と罵られても、「土人ですが、それがどうした」と対応できるように、誇りを持つようになった。しかし、まだ「アネッタイ!」という感覚なのだろうか。冬休み春休み、5月の連休など、いつも多くの観光客が来るのだ。

 「小指の痛み」を全身に伝えるのは、脳の役割なんだ。沖縄の文化、歴史を脳への伝達物質として使ってみたい。

 山之口獏の詩の後に、付け加えよう。「アネッタイなのだが、亜熱帯の海に、森に、軍事基地が造られようとしている、造られている島なんだ」

 沖縄戦を体験し、その後遺症が残り、ずーっと「痛み」を抱えてきた沖縄なんだ。1969年、「小指の痛みは、全身の痛み」と、喜屋武真栄議員が国会で訴えた島なんだ。(冨樫 守)

 〈連載第21回 番外編〉(沖縄戦74年、19年6月記 詩の引用は部分)