総選挙全体の分析も必要だが、本稿は維新問題に絞って検討したい。維新が大阪で全勝し、全国で議席数41(公示前11)、比例で約805万票(前回約338万票)を獲得という結果についてである。

▼維新躍進にたいする反省と総括

▽維新はなぜ勝った?

 有権者の多数が投票したからだ。余りに当たり前だが、この事実を見すえる必要がある。

「吉村人気」「連日のテレビ出演」—もちろんそれはある。しかし、問題はそこから何が浸透したかだ。それは、「身を切る改革」を断行する維新、たいして「既得権益」を擁護する岸田・自民と立憲という構図であった。

 「身を切る改革」のスローガンを軽視できない。これが思いのほか響いている。直接は、議員報酬・定数の削減だが、世襲と私益で議員になっている連中に不信を募らせている人びとにとって、自分の一票で連中に鉄槌を下せるという気分にさせてくれるのだ。

 しかもそれにとどまらない。その鉄槌感情が、「誰かを犠牲にして改革を。改革を断行して競争を。競争を徹底して成長を」という新自由主義に接続・拡張されていく。

▽「唯一の改革政党」「自民と対決」

 岸田が全く曖昧だが「分配」をいい、無内容だが「新自由主義の修正」を口にした。そのことで、政権交代の可能性も気概もなく「分配」をいう立憲は霞んでしまった。

 他方、岸田が「改革」を抑制し「分配」を言うのを捉えて、維新は、「改革を後退させる」と岸田・自民を右側から批判。自民と対決する構図をつくり、「まともな野党」「唯一の改革政党」と押し出した。

 こうして、立憲などの野党はお株を奪われてしまった。

▽改革・競争を批判できない

 こういう構図をもたらした主体的要因は何か。

 野党は「疑惑」「不祥事」「隠蔽」を追及してきた。たしかに重要だ。しかし、もっと根本の問題があるはずだ。「改革・競争・成長」なのか、それを真っ向から否定する「競争ではなく協働、成長ではなく脱成長、そこに向かう大変革」なのか。この真逆の価値観の対決こそ、選挙以前的に潜在的ではあるが、土台的な分岐として流れていたのではないか。それを顕在化させて争点化できたとき、自民と維新を串刺しにする展望も出てくるはずだった。

 ところが、野党も左派リベラルも、そもそも「改革・競争・成長」という事柄を正面から批判・対論できていない。あいまいな態度で対決を避けてきた。そこを選挙で攻められてしまった。

▽人びとはなぜ維新に入れた?

 「吉村人気」は「愛の不時着」のヒョンビンに似ているからではない。「はっきりモノを言うから吉村君、スキ」。これが巷の評価だ。どういうことか?

 人びとは、家庭でも学校でも職場・地域でもずっと競争に駆り立てられている。そして、競争から脱落しても「自己責任」として放置される。しかもそんな「競争社会」がおかしいという声も聞こえない。そういう孤独と不安と焦燥で、ものを考えるのも嫌になる。一皮むけばそんなズタズタな感情だ。ここに向き合う必要があるのだ。

 そういう感情に苛まれているとき、それをすくいとるように、権威主義な人格が「ハッキリとモノを言って」くれる。自分の言葉で受け答えし、信念を感じさせる。そして「元凶は既得権益にしがみつく連中だ」と。それが、人びとの心に響くのだ。もっとも、その先にあるのは、「誰かを犠牲にする改革」であり「死のイス取りゲーム」なのだが。でも、それを支持していれば自分も「勝ち組」の仲間になれるのではないか?。

 ヒットラーもトランプも維新も、こういう人びとの感情に言葉を与えた。いや、人びとのこういう感情が維新を産み出しているとさえいえる。

▽活動家はなぜ分からなかった?

 「結果に驚いている」「がっくり来た」と活動家の間で話し合っている。さらに高じて「大阪の人間は思考停止だ」と非難する者さえいる。

 しかし、トランプ現象の当初、アメリカの保守もリベラルも、事態を予想も理解もできずにいた。ラストベルトの人びとが溜めている感情を知ろうともしていなかったからだ。

 「結果に驚いている」私たちの方に問題がある。私たちの方が戦後的な思考で停止していた。何よりも、人びとの不安に向き合っていないのだ。しかも「改革・競争・成長」を批判・対論してこなかった。向き合わず・批判もないところで、「平和」や「民主主義」を説いている。これが人びとに通用しない大きな原因なのだ。

 翻って、久保敬・木川南小校長の「価値観の転換を図らなければ」という訴えはラディカルで心にしみる新自由主義批判だった。

「グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが『がんばった人間』として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。

 『生き抜く』世の中ではなく、『生き合う』世の中でなくてはならない。…

 あらゆるものを数値化して評価することで、人と人との信頼や信用をズタズタにし、温かなつながりを奪っただけではないのか。…

 『競争』ではなく『協働』の社会でなければ、持続可能な社会にはならない」

 

 以上の分析は私見だが、違う見方もあるだろう。多方面からの議論を呼びかけたい。