
10月30日、大阪・高槻市で全国子ども食堂支援センター・むすびえ理事長・湯浅誠さんの講演とシンポジウムがあった。主催は市内の子ども食堂関係者のネットワーク。
10年前から始まった子ども食堂は、20年末には全国でおよそ4960ヵ所あるそうだ。
▽「だれでも食堂」
子ども食堂というと「貧しい家庭の子」のための貧困対策と一般的にはとらえられがちだが、湯浅さんは、だれにでも開かれ、生きづらさを和らげ、孤立を防ぐ可能性を秘めた場所だという。各地の食堂では、子どもを真ん中において、年齢、属性を問わない多様な地域の人たちが出入りし、一緒にごはんを食べ、遊び、自分にできる仕事をし、力を出し合い運営している様子があった。
行政は、その人の属性(年齢や障がい、病気、収入等々)でサービスの区別をつけるが、民間の住民による子ども食堂の「だれでも食堂」の多様性が人々を引きつけている。その力が行政を引っ張り出すまでに。実際、コロナ禍の子どもの貧困問題の深刻化もあり、各自治体もさまざまな子ども施策を打ち出している。
▽コロナ禍と子ども食堂
コロナ禍が「子どもの貧困」を深刻にしている中で、「子ども食堂」も困難に直面している。
この日は、高槻地域で子ども食堂や学習支援を続けている団体からも報告があった。「密」である事に意味があるといってもいい子ども食堂は、感染の危険性という一点だけで中止に追い込まれ、その後徐々に弁当持ち帰りなどで再開しつつあるが、ただ弁当を配ることで子ども食堂といえるのだろうかというモヤモヤ。さらにお金があるなしに関わらず来てもらってはいたが、貧困家庭はさらに厳しくなっているのに、その子たちに手を伸ばせているだろうかというジレンマ。また「緊急事態宣言」下で公共施設を借りていたがその場所そのものが使えなくなったことなど切実な話が報告された。
湯浅さんは「子ども食堂は不要不急ではない」と力を込めて語り、人を「タテにもヨコにも割らない社会」をつくりたい、日本中に「小学校区に最低ひとつの子ども食堂」をと訴えた。
地域・人のつながりが切断された「無縁社会」という言葉が使われ初めて20年以上。子ども食堂の取り組みは、少しづつ地域性を建て直しているのではないだろうか。「住民自治、地方自治」の言葉にあてあまるのではないか。ミュニシパリズムとかコモンズとか、社会のあり方そのものを問い直し建て直す議論や実践が始まっているが、子ども食堂の位置づけもその点から考え、私の関わり方を見直したいと思った。(新田蕗子)