関西地区生コン支部に対する大弾圧を、労働組合の歴史のなかで考えようという企画が、11月20日、滋賀県大津市内で開かれた。戦争をさせない1000人委員会・しがによる連続市民講座の第12回目として、弁護士の永嶋靖久さんを講師に招いた。以下は永嶋さんの講演要旨。

▽労働組合法を無視

 検察官や裁判官は訴状や判決文で関生弾圧をどうにとらえているか。驚くべきことだが、そこでは労働組合法がまったく無視されており、資本家の意向に沿わないものを犯罪にする「階級意志」が貫かれている。

 そもそも労働組合とは歴史的にどのように始まり、それを法律はどのように位置づけきたのか。 18世紀のヨーロッパでは、フランスのル・シャプリエ法(1791年)や、イギリスの団結禁止法(1799年)などで労働組合そのものをを禁圧していた。

 1802年、イギリスの工場法から始まる労働者階級のたたかいのなかで、労働組合はようやく刑事免責や民事免責が法律で認められるようになった。その後のさらなるたたかいの中で、「不当労働行為」という法概念が確立されていき、労働組合活動が法律で助成されるようになった。これが資本の労働組合に対する攻撃にたいする規制として現在までつづいてきたのだ。

▽労働運動200年史

 200年にわたる労働者階級のたたかいの歴史の中で、労働3権(団結権、団体交渉権、団体行動権)や8時間労働制を勝ちとってきたのだ。ところが今、その歴史を19世紀初頭に引き戻し、労働者の諸権利が根こそぎにされようとしている。

 近代日本は、第二次大戦で敗戦するまで、台湾、朝鮮、中国そして東南アジアに侵略戦争を拡大てきた。日本を占領したGHQは、日本が二度と侵略戦争ができないようするため、5大改革指令(秘密警察の廃止、労働組合の結成奨励、女性解放、学校教育の自由化、経済の民主化)を出した。 45年12月には、労働組合法が制定された。戦後憲法が誕生する前のことだった。

 確かに憲法や労働組合法は70年以上そのままだが、判例や国民の意識は大きく変わってきた。1950年以前は、炭鉱労働組合(炭労)による生産管理闘争やピケ(阻止線)に実力闘争が認められていた。60年の炭労の三井三池争議は「総労働対総資本」と言われた。74年の日教組の全日ストには、30万人が参加し、20人が逮捕され、4人が起訴された。「違法ストかもしれないが、そもそもストを禁じた公務員法が違憲ではないか」と国民はこうしたストを支持していた。

▽スト権ストで転換

 75年の国労・動労によるスト権ストにたいして、国鉄は初めて202億円の損害賠償訴訟をおこした。これまでは、「違法スト」として組合執行部への処分を行っていたが、刑事免責と民事免責は認めていた。それが大きく転換した。

 80年代に入るとアメリカ、イギリスを先頭にして世界的な労働組合にたいする大逆流が始まった。日本もその例外ではなかった。国鉄分割・民営化(87年)による国労解体攻撃、総評解散—連合結成(89年)が強行される中で、労働運動は後退を重ねてきた。

 そして今日、労働組合法に則ったまったく合法的な関生労働運動を「反社会的勢力」と決めつけ、あたかもそれが市民社会に敵対しているかのように描き出されている。そして組合の宣伝行動すらも犯罪にされようとしている。

 私たちは改めて労働組合の歴史に学び、労働者・労働組合・市民の連帯と闘争によって、この流れをて変えていかなければならない。

 昨年7月、2年近く拘留されていた武委員長と湯川副委員長が保釈された。あのとき京都・滋賀の反弾圧実行委員会は1週間以上、連日で京都地裁前で抗議行動をおこなった。その行動があって、裁判所は自分たちの方に非があることを認識したのだと思う。武さんにたいして検察は懲役8年を求刑したが、裁判所は実刑判決を出せなかった。今求められているのはそのようなたたかいである。