
映画『サンマデモクラシー』を見ました。山里監督の構成に乘っかかり、ほんのり笑え涙ぐみました。 監督は、サンマを日本本土への郷愁ととらえました。沖縄で獲れる魚ではない、本土の魚であったことは確か。サンマ定食は手ごろな値段でお腹を満たすに充分であり、よく食べました。強烈な郷愁とまではいかないけど、本土の魚を食べている感はありました。
映画は、そのサンマに税をかけてくるアメリカ高等弁務官の権力と、それに抗する魚売りの玉城ウシさんの話。玉城ウシさんのたたかいが、だんだん膨れ上がり、本土復帰運動という大きな流れの中に合流していく過程が描かれています。
ウシさんは魚売りを母から受け継ぎ、那覇の市場でサンマを仕入れ、売る仕事をしていました。日本への復帰前、沖縄が米政府の統治下におかれている1958年10月27日のこと。「日本」から輸入する物品に関税をかけるという布令が出されました。
布令には課税対象となる海産物リストが記載されていたが、サンマはなかった。にもかかわらずサンマ輸入に課税されました。
そこで裁判になり、裁判中「失うものは何もない」と言った玉城ウシさんは、悲しみを背負っていました。一人娘が幼くして亡くなったこと。戦時中、山原に逃げ苦労したこと。フィリピンに嫁いだ妹が日本兵に殺されたこと。意識の底には、米政府の統治下であることに怒りがあったのであろうと思います。
▽ウシさんとラッパさん
63年8月13日、「サンマ裁判」初公判が開かれることになりました。課税リストにサンマが記載されていないと最初に指摘したのは、ラッパの異名がある下里恵良でした。彼は琉球政府で保守側の与党議員であり、弁護士資格を持っていました。ウシさんとラッパはタッグを組み、裁判に挑みました。
映画には、この裁判にかかわるいろんな人物のインタビューが挿入してあります。印象的なのは、アメリカ留学経験者でつくる金門クラブの副会長をしていた川平朝清さんが、キャラウエー高等弁務官と会話をし、キャラウエーが「沖縄の自治は神話」発言の真意を述べたことです。
キャラウエーの真意は、「沖縄の自治は、今の方がある。日本復帰で自治は狭くなる」旨を話したとのこと。米軍統治下で沖縄に真の自治権があったとは思いませんが、「日本復帰しても自治権はさほどない、神話だ」との意味ならば分かる。故翁長知事が辺野古のことに際し、「沖縄のことは沖縄が決める」と言った言葉、つまり沖縄の意思が通らないことに対する怒りがそのことを象徴しています。
今も県民投票結果をないがしろにすることや、地方と国が平等になった改正地方自治法も骨抜きということをみても当たっています。(冨樫 守)