投獄4回、脱獄2回。1972年の4回目の投獄で、13年間収監され、うち10年は独房で過ごす。85年、軍政から民政に戻り、ムヒカも解放される。

 94年、下院議員に初当選。99年、上院議員に当選。2010年、第40代大統領になる。15年、大統領を任期満了で退任、上院議員になる。豪邸の大統領公邸には引っ越さなかった。16年当時は、首都郊外の小さな村の農園の自宅で妻と暮らす。三部屋の家、それで十分という。自ら家事も畑仕事もこなす。

 「世界で一番貧しい大統領」との評価については、「みんな誤解している。私は少しのモノで満足して生きている。質素なだけで貧しくはない。生きていくには働かないといけない。でも働くだけの人生でもいけない。ちゃんと生きることが大切だ」と語る。

 彼は政治家にこそ「清貧」を求めた。「特権層のような暮らしをし、自らの利益のために政治を行ったら人々の信頼を失う」と。

▼独房に原点

 武装闘争に携わり、銃撃戦で6発撃たれ、重傷を負ったことも。

 「平等な社会を夢見てゲリラになった。10年ほどは軍の独房だった。拷問も受けた。長く本も読ませてもらえなかった。きびしく、つらい歳月だった。独房で眠る夜、マット1枚があるだけで私は満ち足りた。その後の人生の原点になった。『人はより良い世界を作ることができる』という希望がなかったら、今の私はない」「人は苦しみや敗北からこそ多くを学ぶ。大事なのは失敗に学び、再び歩み始めること」。独房で見えたことは「生きることの奇跡だ。人は独りでは生きていけない。恋人・家族・友人と過ごす時間こそが、生きるということだ」。

 いつ死ぬかも、いつ殺されるかもわからない苦難の中で「生きていることの奇跡」に気づいた。

 日本の若者へ、ムヒカからのメッセージ。「私達の社会をより良くするために闘うこと。それこそが生の大義だ」「日本ではなかなか希望が持てないと聞いて驚いた。選挙で若者が3割程度しか行かないのは信じていないから。信じられる何かを創ってください。生きるためには希望が必要だ、と私は思う」。

(脇田和也)