——施設を倍増し、運用、対象者も拡大できたとういうことですね。

 高橋 はいそうです。1波から3波までの神戸市の死者は200人。4波は突出し374人が亡くなりました。第5波は死者37人(11月8日現在)ですが、自宅、宿泊療養者から死者は出ていません。

 ——高橋さんは、地方自治の現場からコロナ対策に努力されてきました。その目線から、安倍・菅政権の対応を、どのように思われましたか。

▽後手後手だった国の対策

 高橋 国の対策は、後手後手だった。痛感したのは、第5波ですね。第4波のとき、大阪や神戸で自宅、宿泊施設療養者から多くの死者が出ました。政府は、何が原因かを教訓化し対策を急ぐべきであるのに、まったくそれがなかった。その結果、関東地方を中心に自宅療養者から200人以上の死者が出てしまいました。何のために政府があるのか?と思う。

 保健師の人手が足らない。感染判明後に、保健所から電話が入るのに何日もかかった。第4波の教訓から、神戸では「最初の電話は事務職が行なう」と、24時間以内に保健所から必ず電話が入る体制をとった。感染した方が不安、心配でたまらないとき。すぐに保健所が電話を入れ、状況を把握するようになった。

▽保健師の不足に対応

 全国的には、症状の悪化に追いつかず放置され亡くなるケースが出た。一方で病院は、病室が満室で診察しても入院を受けられない。結果、外来診察を断る状態に。救急車が受け入れを捜すのに長時間を要し、亡くなるなどの悲劇が起った。 

 神戸市では第4波の教訓から、保健所職員が患者を病院に送迎し診察を受け、入院の体制は別途に考えるやり方も行なった。医師の診察が受けられ、至急入院が必要かどうか判断できる。要入院の場合は、保健所が全力で入院先を確保する。

 ——「救急車による搬入、入院先が見つからない。たらい回しという不適合」の対策に、保健所を介した対応をとったということですね。

 高橋 ふつうは病気が悪化したら、病院で看てもらえる。ところがコロナの場合、容態が悪化してもすぐに看てもらえないということが起った。神戸や大阪の第4波の危機的状況は、政府もわかっていたはずだ。

 なぜ5波にむけた体制を作れなかったのか? 第5波のとき、東京・墨田区の保健所長が「こうやって自宅療養者の死亡をゼロに」とテレビで言っていました。神戸の医師から聞きとり、対応を練ったという。

 ——あらためてコロナ第6波を予想すれば、どのような課題が…。

 

▽第6波予測 即応体制を

 高橋 やはり自宅待機、療養の人がすぐに診察、検査を受けられる体制ですね。それを拡充していく。病床を増やすことも大事ですが、次善の策として看護師が常駐し、医師が毎日回診する宿泊療養施設も増やしたらよい。「症状があれば入院、無症状ならば宿泊療養施設」という体制を徹底すればよいと思いますね。

 ——コロナ禍のもとで相談など、他には…。

 高橋 コンピュータソフトの会社に勤めている若い方から、「コロナになって会社から解雇を通告された。会社は『短期雇用ではない』と言っていた」と、ワーカーズユニオン垂水が労働相談を受けました。労働契約を見ると「2カ月毎に」と書いてある。これは厳しい。ユニオンの方と本人が来て、結局「コロナで仕事も見つからない。生保を受けたい」ということに。生保制度を説明したところ、自分で申請し、ちゃんと受給できました。その後、仕事が見つかり自活できている。セーフティネットは、申請すれば神戸では受けられる。 

 生活困窮者自立支援事業とか、コロナ対策の貸付制度とかありますが、生活保護は、みなさんなかなかハードルが高い。「生保を受けたら、もう終わり」という意識がある。受給者数は意外と横ばい、制度の紹介だけでは解決しない。「自己責任論、意識」は、やっぱり広くある。「これは社会の問題。いまは保護を受け、力を蓄えてからやり直そう」というアプローチが必要です。

 ——「これから」へ、一言お願いします。

 高橋 長い間、福祉の仕事に携わり、市民運動にかかわってきました。本当に困っている人ほど、なかなか声を上げられない。暮らしやすい社会、地域を私たちが作っていくためにどうするのか、いっしょに考えたい。私の一例、「生活保護は権利」と、市の生活保護のホームページに「コロナ対策」「暮らしに困る」というワードから、「生活保護」に直接アクセスできるよう改善させることができました。そんな目線を持ちながら、共に生きる社会をめざしたいですね。(おわり)