今年は米中国交回復の道をひらいたピンポン外交(1971年)から50年目にあたる。翌72年に米大統領ニクソンが北京を訪問して毛沢東と会見した。この頃の中国は文化大革命の真っ最中で、今日の習近平体制どころではない「人権侵害」が中国全土で吹き荒れていた。▼もっとも米国が「人権外交」を標榜するようになったのは、後のカーター政権時代のこと。この当時、米国はベトナム戦争で全世界から非難を浴びていた。▼日本卓球界の重鎮だった荻村伊智朗さんはその著書で、国際卓球連盟が1926年の創立以来、その憲章で「国旗・国歌を使わない」「加盟は国単位でなく、協会単位である」ことをうたってきたことに触れている。もしも卓球の国際大会で国旗・国歌を使用していたら、「ピンポン外交はできなかったかもしれない」と。▼その後、国際卓球連盟はオリンピックに参加するため、この憲章を変えてしまう。来年は日中国交回復と沖縄「返還」から50年。大きな節目を迎える。