▽「社会は変えられる」という共有へ

(Sさん)

 拝読し、多くの論点で共感できます。思いつくことを書きました。

維新は、吉村大阪府知事(維新副代表)が盛んにテレビに出て、一見「丁寧に」応対していた

ことが共感を得たことは明らかでしょう。大阪は小選挙区で全勝ですが、兵庫も比例区復活で公明の出なかったところでは全勝です。

 若い世代ほど、維新支持の割合が多いこと、立憲は全共闘世代に支えられた政党となっています。維新は既に多くの地方議員を擁しており、それが足腰となって日頃から地域で活動していること。そういう現実を、しっかりと受けとめなければならないでしょう。

私たちの、今までの運動、行動、考え方、進め方をさらに強めれば良いという段階ではないと

思います。進め方の転換が必要です。

維新は、中身はちっともなく、酷いのに、漠然とした改革派イメージ作りが多くの人々を引き

寄せています。人々が社会のあり方に満足していないのは事実です。選挙前に、にわかに政策論議を始めても、それを吟味して選び取るというリテラシーや意欲を持ち続ける人たちが、社会の半数もいなくなっていること。日常的に社会の様々な問題にとりくむ運動を進め、やむにやまれぬ主張を寄り合わせ、政治的なうねりを作っていくことではないかと思います。私は、韓国の参与連帯や経実連を評価しますが、そのような活動が日常的になされているからです。

 山本太郎氏の街頭宣伝は、ある種の政治教育の場になっているのではないでしょうか。彼は、人々に立ち上がる必要があると訴えています。立憲民主党が代表選になり、地方での集会をいくつかやっていますが、そのような場を日常的に各地で持ち続けることが必要ではないでしょうか。宣伝カーの上から演説するのではなく、小さな会場で直接話し合う場でよいのです。

 個別の運動テーマの羅列ではなく、「自分の生活が厳しいのは、社会的な要因が大きいこと」「それは政治的アプローチで変えることができる」という、民主主義の基本を多くの人々と共有していくことが必要だと思います。現状への不満、不信は社会にふつふつとありますが、それを受けとめ、私たちの生活に根ざした結集軸を打ち立てる必要があると思います。

 

▽「手がかりは、どこにあるか」

(Fさん)

 興味深い論考でした。共感できるところが多いです。特に次のような指摘、これからの考え方、

展開につなぎたいと思います。

 �@「身を切る改革」を断行する維新、「既得権益」を擁護する岸田・自民と立憲という構図…。

�A岸田が、全く曖昧だが「分配」を言い、無内容だが「新自由主義の修正」を口にした。そのことで、政権交代の可能性も気概もなく「分配」を言う立憲は霞んでしまった。�B野党も左派リベラルも、そもそも「改革・競争・成長」という事柄を正面から批判・対論できていない。あいまいな態度で対決を避けてきた。�Cヒットラーもトランプも維新も、こういう人びとの感情に言葉を与えた。いや、人びとの、こういう感情が維新を産み出しているとさえ言える。

 私は、維新が強かったというよりも、野党(立民)が弱かったと思っています。有権者は、「あ

の党は、私のために何をしてくれたのか?」という“現世ご利益”で投票する傾向が強くなって

いるのでしょう。立民はアイデンティティ(とがった主張)が乏しく、コアな支持層を持ててい

ないと思います。

 私のスタンスは、「まずファクト(データ)に基いて考えてみたい」ということです。例えば、

維新は本当に“全国化”したのか、大阪で全勝したのに「公明との選挙協力」がどれほど影響したのか、野党が盛り返す手がかりはどこにあるのか…などを、データに基いて探ってみたいと思っています。ともあれ「論考」に、私の好奇心は大いに刺戟されました。