さて、裁判は琉球民裁判所で始められ、そこでは勝訴。しかし、当時はアメリカ政府の裁判所もあり、交代した高等弁務官は案件をアメリカ側の裁判所に移しました。米軍の強圧は抵抗を生み、仲間を呼びました。サンマ裁判の原告は漁業組合になり、沖縄側の裁判官も抗議するようになり、怒った県民が裁判所を取り囲んだりしました。その中に、瀬長亀次郎もいたのです。小さな流れが次第に大きくなり、本流となって行くようになります。

▽翁長知事と菅官房長官

 この場面に、翁長知事と当時の菅官房長官の辺野古をめぐる会談が流されました。菅の強引な姿勢に対して知事が、「沖縄の自治は神話だと言ったキャラウエーを思い出す」と言うシーンが出てきます。現在の辺野古問題とオーバーラップさせていました。

 昔を今につなげる映画の手法に観客はのめりこんでいきます。この辺りから映画も終盤に近付きますが、いくつかの挿話がありました。

▽ラッパを見舞う亀次郎

 一つは下里ラッパと亀次郎の交流です。下里が重い病に伏し、亀次郎が立場の違いはあっても「赤い花」を持って見舞いに行く。ラッパは「だからと言って赤い花を持ってこなくてもいいのに」と憎まれ口をたたく。

 時代と政治状況のせいか、筋を通す保守が出てくると沖縄は「オール沖縄」でたたかう。下里ラッパも筋を通したから亀次郎が見舞いに来ました。ほほえましい挿話でした。

 

▽ウシの位牌に赤い雨靴

 もう一つの挿話は、エンディング前。この映画ストーリーの進行役を演じていた噺家の藤木志ぃさーが役を抜け出し、藤木勇人個人となって玉城ウシの所に訪れるシーン。ウシは一人娘を幼少時亡くしています。もちろんウシさんは亡くなっており、位牌は東京葛飾にいる甥の家に。ウシの位牌とその隣に並んでいる幼い娘に赤い雨靴を置き、手を合わせました。赤い雨靴は履かせてやれることの出来なかったウシの思いだったでしょう。ここは泣けるシーンでした。

  権力に、その時は負けても、後を受け継ぐ人たちが出てくる。受け継ぐ人も、最初に立ちあがり拳を振り上げた人を忘れない、という暗示でした。

 厳しい現実を前に、気持ちが休められました。(冨樫 守)