11月20日、大阪市内で「10・8山崎博昭プロジェクト秋の関西集会」が開催され、近代日朝関係史の第一人者である中塚明さん(奈良女子大名誉教授)による「敗戦の総括をし損なった日本−日本は朝鮮で何をしたのか」の講演があった。

 中塚さんは、「現在の『韓国バッシング』の歴史的背景は、明治期の日本が朝鮮に何をしたのか、日本人がそれを知らないことにある」と次のように語った。

▽「日本の知性」

 日本は、明治維新(1868年)から40年で日清、日露戦争に「勝ち抜いて」世界の五大国にのし上がり、それから40年で第2次世界大戦に敗北した。この変転を日本人はどう省みたのか。

 東京裁判を傍聴し、そこで日本軍の残虐行為を知って衝撃を受けた作家大佛次郎は、その『傍聴記』で、(若者に向かって)「これが君たちの国の過去だった。これをどう見るか」と書いた。彼は「近代日本についての深刻な反省」をしたのだが、だがそれは東京裁判で俎上にあげられた1930年以後のことだけであって、「明治の戦争」は入っていなかった(その後の彼の作品に明らか)。これが「日本の知性」とまでいわれた作家のレベルだ。リベラル派とか市民運動家も、「徴用工」問題等となると韓国批判になるが、それも同じではないか。

▽改ざんされた戦史

 「明治の戦争」の公的資料、ことに「公刊戦史」は事実をすべて改ざんしている。70年以後、少しずつ史料公開が進み、その後の研究で、江華島事件、日清、日露戦争などの「改ざん」の中身が明らかになってきた。

 一例を挙げる。徳島出身の杉野虎吉は1894年7月29日にソウル南の成歓での日清会戦で戦死したとされているが(靖国神社忠魂史)、実はその年12月10日、東学農民軍との連山での交戦で戦死(日本軍唯一の死者)したということがわかった。この農民軍との戦闘の記録は戦史にはない。

 ではなぜ、改ざんされたのか。当時、東学農民軍による抗日武装闘争が朝鮮全土で激しくなり、それに対し、日本軍は、「賊徒を悉く殺戮」するという凄惨な掃討作戦で鎮圧した(朝鮮人の犠牲者は3万人ともいわれる)。だが、これは日清戦争開戦の詔勅の「(清からの)朝鮮の独立のため」という名目に反すること、その後の中国への侵攻計画に日本の兵士を駆り立てるためには、行く先で抗日運動があること(それで死ぬこともある)などは、知らせてはならないとの理由からだ。

 80年代以後、日韓研究者の共同作業、市民交流の発展が史料の発掘、検証を大きく進めてきた(今も続く)。最近1895年の「閔妃暗殺」実行犯の直筆の手紙が発見されたという朝日新聞の記事が出たが、「史料」に向かい合い実証し、真実を知って、自らの姿勢を整えることが、今、大切なのではないか。「明治の栄光」という「虚妄の記憶」から正しい判断が生まれるはずもない。

▽歴史に学ぶことの意味

 中塚さんは、93歳という高齢を感じさせない力のある声で、満員の聴衆に熱く語り続けた。「慰安婦」問題の解決に関わってきた私にとって、大いなる励みになるお話だった。

 当日は、徐潤雅(そ・ゆな)さん(立命館大学コリアセンター-研究員)による「境界なき連帯:富山妙子と韓国民主化連帯運動」についての研究報告があった。(富山さんは今年夏、99歳で死去)。その作品と行動は民主化闘争がとくに困難な時に大きな役割を果たしたことで、韓国内では立場の違いを越えて彼女の死を悼んだことなど、日本人が知らなければならないことを教えてもらった。(新田蕗子)