「軍隊と性暴力 沖縄でフラワーデモを続ける意味」と題する高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)の講演会をズームで視聴した。(11月23日、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークが、国連「女性に対する暴力撤廃の国際デー」にあたって企画・主催)

 高里さんが最初に話題にした95年の沖縄米兵少女暴行事件は、私もよく覚えている。当時、沖縄県民大会に連帯して東京でも数万の大衆が日米安保体制に抗議の声を上げた。事件を契機に、日米政府によってSACO(沖縄に関する特別行動委員会)が設置され、「沖縄の負担を軽減することで日米安保を強化する」とされた。しかし、高里さんは、SACOが本当に沖縄の負担を軽減したのかどうか、厳密な検証が必要だと言う。米軍絡みの事件事故はその後も減っておらず、辺野古新基地建設の強行など日米安保の強化策だけがどんどん進められている。毎年のように普天間周辺ではヘリの墜落や部品の落下事故が相次ぎ、米兵による強姦・殺人事件も後をたたないというが、高里さんが示す年表(表)は衝撃的だった。

 何も変わっていないのだ。日常的な暴力の現実、恐怖を伴う基地被害がずっと変わらず続いていたことを思い知った。

 高里さんは宗主国的な米軍の特権意識も指摘する。55年に6歳の幼女を強姦、殺害した「由美子ちゃん事件」で死刑判決を受けた犯人は、「沖縄の反米闘争の犠牲になった」という訴えが米大統領に認めら、22年に減刑、仮釈放されていた。最近でも20歳女性を殺害した犯人が、「自分は反米闘争の犠牲にされた」と主張している。加害者が「自分は被害者だ」と言いつのり、逆に抗議する沖縄県民が基地施設の境界を示すオレンジラインを一歩でも超えると逮捕される現実。

 「私、本当に怒ってます。81歳になるけど、『どこまで続くこの道ぞ』という感じで」と高里さん。

▼フラワーデモ

 2019年3月、4件の強姦事件裁判で立て続けに無罪判決が出たことに抗議するフラワーデモは、沖縄でも高里さんたちが同年8月から始めた。 「沈黙する権利もあっていい、だけど口に出そうと思う人が出た時は全力で支える、そういう思いでフラワーデモを続けている」「被害者のことを忘れない」というのも彼女が大切にしているテーマで、沖縄で亡くなった元従軍慰安婦のぺ・ポンギさんのことや、戦後沖縄の事件事故を国会図書館にまで出かけて丹念に掘り起こしていることも話された。

 「本土の方には、なにも沖縄のことやってださいというのではなく、ご自分の地域のことにしっかり取り組むことが沖縄につながっていると思っています」「米軍基地を沖縄が喜んで受け入れているわけではない。米軍に土地を提供している本土に、この矛盾、このひどさを、もっとみんなに知ってもらいたいと思います」というメッセージが胸に刺さった。若い頃に職場でレイプされたという知人女性が「あの頃はセクハラという言葉もなくて隙を見せた自分が悪かったと思ってたんだよ」と語ってくれたのを思い出した。性暴力を許容する日本の法体系が、沖縄で被害を訴えてもほとんど受け付けてもらえない現実に反映している、という高里さんの指摘にうなずく一方、この世界の暴力性に頭がくらくらしてきた。

 凛とした声で米軍の犯罪を弾劾し、これを擁護する日本政府を批判する一方、被害者に寄り添い、川田文子さんや仲間との交流を語るときのはじけるような笑顔から、彼女の強くて優しい、温かい人柄が伝わってきたのが印象的だった。(掛川)