▽執念の調査活動

 南京大虐殺から84年目となる昨年12月11日、大阪市内でで「東京裁判と南京」をテーマに集会が開かれた。日中平和研究会、銘心会南京代表の松岡環さんが講演。松岡さんは、何度も中国を訪問し、被害者からの聞き取りを行ってきた。日本国内でも加害兵士の聞き取りを精力的に続けている。

▽大虐殺の実相

 南京大虐殺は武器を持たない兵士や老若男女の市民30万人が殺害された残虐事件。中華民国は膨大な証拠資料と証人を準備して裁判に臨んだ。その結果、松井岩根がA級戦犯として処刑された。

 松岡さんが1990年代に入手した「太田寿男的筆供原文」によれば、太田寿男少佐は1937年12月15日、南京下関に到着。司令部から死体処理を任じられる。前日から死体処理は始まっており、14日から18日の5日間で約7万人を揚子江に流し、10万人を焼却埋没地に運搬した。そのうち2100人は瀕死の状態だったが、手鉤で頭部や心臓部を突きさして殺し、川に流した。これらが克明に記録されている。

▽天皇の免責

 東京裁判で最高責任者の天皇は裁かれなかった。アメリカが日本を東西冷戦の前線基地にしようとしたためだ。天皇を日本統治政策に利用する必要があったのだ。それが今も日本社会を歪めている。

 天皇を免責したために、日本は戦争責任を清算できずにきた。その問題を追及したのがドキュメンタリー映像「東京裁判と南京—大きな溝を乗り越える」である。戦争責任の清算は未来のためにも必要なことであるだ。