社会の無反応を恐れる ウトロ放火事件で緊急集会

 京都府宇治市のウトロ地区(解説)で昨年8月30日、火災が発生し住宅や倉庫など計7棟が焼けた。当初は失火と思われたが、京都府警は同12月6日に放火の疑いで容疑者を逮捕。容疑者は昨年7月、名古屋市の韓国民団や韓国学校の排水管に火をつけた疑いで10月に逮捕され起訴されていた。事態を重視した市民らによる緊急集会が、昨年12月26日、同志社大学(京都市上京区)で開かれ450人が参加。呼びかけは、京都府・京都市に有効なヘイトスピーチ対策の推進を求める会。集会は2時間にわたって行われたが、その中から韓国から中継で参加したウトロ出身の弁護士、具良鈺(クリャオン)さんの発言を紹介する。(文責/見出し、本紙編集部)

▽ウトロの人びと

 私は1982年にウトロで生まれ、育ちました。大雨が降った日には大変でした。ウトロにだけ洪水が起こりました。すぐにみな外に出て来て、「大丈夫か」と互いに声を掛け合って、雨水のくみ出しを助け合ったりしました。自前のぜい弱なインフラのためであったことを、後に知ることとなりました。歴史的な痛みを背負ってきたウトロの人々は、子育ても、暮らしも、仕事もともに手を連ねて、助け合って暮らしていました。日本社会からは危ない場所と敬遠されていたウトロでしたが、実際は家に鍵をかけなくて良いほど、安全なコミュニティでした。

▽ウトロ裁判

 私が小学校1年生に上がるころ、ウトロ土地裁判が始まりました。私もどうやらウトロから出ていけと言われていると理解するようになりました。ふと、疑問が起こりました。私たちがなぜ訴えられなければならないのか、つまり被告なのか。戦争と植民地支配の被害者として原告であるべきなのに、何か悪いことをしたのか。 

 私が高校3年生の頃、ウトロ土地裁判で住民敗訴が確定しました。この裁判は私に弁護士になる動機を与えました。また朝鮮学校に通いながら受けた数々の暴言、暴力はその動機を強くしました。弁護士になった2009年、在特会による京都第一朝鮮初級学校襲撃事件が起こりました。この学校は私の母校でした。楽しい思い出がたくさん詰まった校舎の前で、浴びせられる暴言と暴力の数々に私は目を背けたくなりました。一方で、私たちは何か悪いことをしたのか、という疑問がまた起こりました。

 

▽増大するヘイト

 私はそれまで、ウトロ出身であること、朝鮮学校出身であることをできるだけ隠そうとしていました。日本社会ではどこか恥ずかしいことだと感じていました。ウトロも朝鮮学校も私にとってはかけがえのないふるさとだけれど、それが大切なものであればあるほど、日本社会の反応に直面するのがこわいという面もありました。ヘイト京都事件が起きた時に「ああ、朝鮮学校だから」という人が、弁護士の中にもいました。私は朝鮮学校の問題ではなく、差別と人権の問題だと訴えました。これを許してしまえば、在日コリアンに対しては、何をしてもいいという暗黙の感覚が日本社会で共有され、他のマイノリティにさえ拡大していく恐れがあると思いました。ヘイト京都事件は、約5年の裁判闘争の末、勝訴しました。私はウトロ裁判で住民敗訴を言い渡した裁判所が、京都朝鮮学校襲撃事件では、被害者勝訴を言い渡したことにようやく一筋の光を見たおもいでした。ここまで本当に長かった。けれども少しずつ変わっていける。しかし、そう思うのも束の間、この1件の勝訴を以てしては食い止められないくらいヘイトのパワーは増大していきました。

▽焼失した歴史

 いまや韓国民団事務所、韓国学校、ウトロという一見、成り立ちや背景が異なる対象さえもが、ヘイトクライムの標的となっています。朝鮮半島出身者、その一点だけが共通しています。その態様は、過激な罵詈雑言から、放火という抹殺を意図する象徴的な行為にまでおよび、過激さをましています。私たちは生きていてはいけない存在なのでしょうか。

 2016年6月、私はウトロを訪問しました。建物の取り壊しが始まると聞き、最後にウトロの原風景をこの目に焼き付けたかったからです。かつて住んでいた家の前で、私、父、娘の3人で写真を撮りました。裁判では負けたけれど、世界中の市民の良心により、何とかウトロ平和祈念館が残り、公営住宅にウトロ住民が入居することができ、最悪の事態は免れたと自身を納得させようとしました。再度、ウトロを訪ねると、住んでいた家は跡形もなく消えていました。私がいなくなったようでした。京都第一朝鮮初級学校はすでに廃校となり、取り壊されました。私がいなくなったようでした。

 そして今回、ウトロが放火されたと聞きました。放火犯はたくさんの看板を燃やしました。看板はウトロの生きた歴史です。裁判が始まった頃、大久保駐屯地との境界にかかった看板の「ウトロで生きて、ウトロで死ぬのだ」というコミュニティへの切実な思い。「オモニの歌」、「ウトロに愛を」という看板。そして「世界人権宣言」の看板など。

▽闘いのパワーを

 放火により看板が消失したと聞いたとき、私の体が燃やされたようでした。私はヘイト京都事件の勝訴にしがみついていました。しかしそれさえも揺らいでいます。当事者が苦しく大変な思いをして、何とか勝ちとった一つの灯火さえも、とてつもなく大きなパワーによって押しつぶされそうになっていると感じます。その大きなパワーとはヘイトです。私たちを忌み嫌い、人間扱いしないものです。官民問わず、です。私が放火犯にもましてこわいのは、社会の無反応です。みなさん。放火をするヘイト犯がいるのと同時に、それ以上にヘイトに反対する強いパワーがあるのだということをウトロ住民に、そして在日コリアンに知らせてください。