


91年ソ連崩壊後の世代にとって、レーニンとロシア革命が現代世界にもたらした影響の巨大さは理解し難いかもしれない。だが、既成政党や社会運動が今も引きずる欠陥、短所のいくつかはその起源をソ連型「共産主義」に有する。むろんロシア革命の肯定的な側面も数多くあっただが、むしろ正面から論じられることの少ないレーニンのマイナス面が現代の課題だとも思える。レーニンとボリシェビキの革命は先行するロシアの革命運動を集大成したもので、ロシア革命史に足跡を残した革命家は数多いが、ここでは「最初のボリシェビキ」と呼ばれたトカチョフをとりあげ、「レーニン主義」をその原型からたどってみたい。
▽19世紀のロシア社会
19世紀ロシア。皇帝(ツァー)が絶対的権力を握り、選挙や議会は存在せず、思想・言論の自由もなく、秘密警察オフラーナが全国にスパイ網を張り巡らせ、一切の体制批判を取り締まった。住民の過半は農奴で、彼らを自由にムチ打ちしてこき使う地主の貴族たちは農業近代化の意欲をもたなかった。女性は貴族と言えどもあらゆる社会生活から排除され、離婚は法的に禁止、親が認めなければ結婚もできなかった。行政機構や裁判所には汚職や賄賂が横行。西洋近代思想に触れた知識層にとって、ツァー体制の変革、ロシアの近代化は1825年の宮廷革命「デカブリストの乱」以来、世代を越えた共通の課題だった。
しかし、1861年農奴解放令をはじめとするアレクサンドル2世の「上からの改革」を契機に、もっぱら貴族の子弟からなる旧世代のゲルツェンなど、改革を支持する「改良派」と、没落貴族、官吏、商人や技術者の家庭出身でツァー体制に展望を持てず、「下からの革命」を掲げたチェルヌィシェフスキーら急進派に知識層は分裂。没落地主の家に生まれ、学生運動で揺れるペテルブルク大学に入学したトカチョフも「革命派」の論客として台頭する。
70年代になると、農民教育を通じて漸進的社会改良を夢見たラブロフ(「人民の中へ」運動)と、農民による暴力革命でツァー体制打倒を目指したバクーニンとの間で論争が行われたが、トカチョフは亡命後に発行した『ナバート(警鐘)』誌で独自の立場から「知的道徳的に優れた少数者が人民を指導する革命」を論じた。しかし、当時「エリート主義」と批判されたトカチョフはロシア国内や亡命グループの間でほとんど相手にされず、失意のうちに世を去った。
トカチョフを復権させたのがレーニンである。亡命先のイタリア・カプリで運営されたボリシェビキの党学校は古い革命家のあらゆる文献をかき集めたが、レーニンが特に重視したのがトカチョフだった。当時レーニンの秘書で党の図書館を運営したB・ブルーエヴィチはトカチョフの公刊物をすべて収集、レーニンは亡命してきた党員全てにトカチョフを熟読するよう推奨した(B・ブルーエヴィチの回想)。
1917年革命の後、ソ連の歴史学者の間で「レーニン主義の原点はトカチョフ」という議論が熱心になされたが、こうした研究は「ナロードニキと非和解的に闘ったレーニン」という党の公式見解に抵触するため、スターリンが議論の打ち切りを通告。トカチョフの著作はソ連の図書館から一掃され、百科事典からその名前は消えた。
▽「革命は近い」
トカチョフは「ヨーロッパの憲兵」と呼ばれた反動の牙城=ツァーリズムが実は脆弱で、ロシアの革命は近いと断言する。
「遠くから見ればわが政府は力強い印象を与える。現実にはその権力は幻想であり、想像上のものでしかない。政府は人民の生活に経済的基盤をもたず、いかなる階級の利益をも体現していない … この点から見てわれわれは革命に勝利するより大きなチャンスを諸君ら〔ヨーロッパ〕よりも有している … われわれの国家はいわば空中に浮かんでいるのであり、現存する社会的階層と何の共通項も持たず、その根っこは過去や現在といかなるつながりも持っていない」。
▽「この未開な大衆」
革命の主力は農民だが、農民が独力で革命に勝利することはない。当時のインテリ層が良心の呵責からつくりあげたロマンチックで理想的な農民像をトカチョフは強く否定した。
人民は「建設的な力としてではなく、破壊的な力としてのみふるまうことができる」。
「人民は嵐のような自然力で … 途上にあるものすべてを破壊し、荒廃させ、常に計算や自覚なしに行動する」。
「ムジーク … この未開な大衆は、激しく抑圧された状態の原因を自覚的に認識するにはあまりにも粗野で無知である」。
「精神的な貧困 … 単調な性格 … 倫理的未熟さ … 大衆はまず何よりも利己主義者である。 … 彼は自らの兄弟と共通の利益や連帯を感じるかもしれないが、仕事や己のパンを失うと知れば同志への支持をとりやめる … 結果として、各々が自らの利益にしたがって行動することで常に全般的利益を見失い、最後は個別利益も失ってしまう。/もし人民を放っておけば、彼らは何も新しいものをつくることはできない。彼らはすでに慣れ親しんだ古い生活様式を拡張するだけである。人民は、指導者がいなければ、旧体制の瓦礫の上に新しい秩序を打ち建てたり … 共産主義の理想を実現する方向に発展することはできない。」
(つづく)