
「ウイルスとの戦争」の発明によって、統治する側は、監視・管理のテクノロジーを高度化し、権力が人々の日常生活により深く浸透している。統治される側は、安全と引き換えに自由を手放すことを厭わなくなり、権力の私物化に対抗する必要性をそれほど感じなくなる。そうして、民主主義への支持や関心をこれまで以上に喪失し、中国型の政治エリートによる支配を渇望しつつある。
アテネの直接民主主義は、最高議決機関の民会を中心に司法から行政まで、市民(ただし奴隷・外国人・女性は排除されていた)が担っていた。行政機関の評議会は輪番制で、クジと輪番制が自治と自治への参加の平等を保証する仕組だった。 公職者の弾劾裁判制度が公職につく者たちを監視していたアテネの民主政治は190年間も続いた。それは長年、僭主政治の独裁に苦しめられてきた人知から生み出されたものだ。
「誰かに統治を任せるのではなく自分たちで統治すること、すなわち自治こそ、専制政治に対抗する最良の手段だったから」という指摘は重要だ。
空洞化した代議制民主主義は改革できるか。それは、まず重要な決定に市民が直接参加することで、市民の政治決定権力を強化すること。次に、市民が直接代表者を監視し、説明責任をはたさせることだという。
著者は、マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を「何が代表制度を破たんに追い込んだのか」、「ルイ・ナポレオンを誰が支持したのか」という視点から読み解く。そして「代表する者と代表される者との間のズレが誰の目にも明らかとなった結果、代表制度の依拠する擬制が破綻し効力を持たなくなった」のであり、「政党を媒介にして議会に代表者を持ちえない有権者が、執行権力の首長によって代表されるようになった」と説き明す。
代表制が擬制的に成り立っていた時代と、格差と競争によって分断されてきた今日を比較し、考えさせられた。(村)